何者かに頭部を切断された八田與一氏の銅像。現在は頭部も修復されている(関係者提供)(C)時事

 

 日本の台湾統治時代の日本人技師で、当時アジア一の規模とされた「烏山頭水庫」という巨大ダムの建設を指揮し、台湾南部の農業を変革した功労者として現在も台湾社会から深く尊敬されている八田與一氏の銅像が、4月上旬、頭部を切り落されるというショッキングな方法で破壊された。

 1886年生まれの八田與一は石川県出身で、東京帝国大学で土木を学び、台湾総督府に就職する。周囲の反対を押し切ってダムの建設を推進し、水源不足に悩んでいた台湾南部の農業を穀倉地帯に一変させた。1942年にフィリピンに派遣される途中に船が撃沈されて亡くなったが、台湾南部の民衆が八田與一を懐かしみ、戦前に自費で造った歴史的な銅像が、今回壊されたのだった。

 このニュースは台湾のみならず、日本にも強い衝撃を与えた。犯人は中国との統一を主張する政治団体の一員だった。この事件は、日本統治全体に対する是非の評価と絡まりながら、いまなお台湾で複雑な反響を呼んでいる。

「大陸反攻」とダブらせた「反清復明」

 実はその銅像破壊の直前、この問題と遠いようで、実は深くつながっている別の案件がにわかに注目を集めた。鄭成功のことである。

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