7年目の再出発でも晴れない南相馬市「精神科病院長」の「苦悩」と「怒り」
2017年8月8日
「福島原発事故は、この母なる故郷を永遠に奪い去った」
南相馬市小高区の精神科病院長・渡辺瑞也さん(74)は、避難生活中の5年間をかけて、東京電力福島第1原子力発電所事故の実態究明を訴えた著書『核惨事!』(2月刊行、批評社)の前文にこう記した。小高区は原発から20キロ圏内。昨年7月に避難指示は解除されたが、大半の住民は戻らず、104床の病院再開は不可能だった。がんと闘病しながら再起を模索し、8月21日、北に三十数キロ離れた福島県新地町に小規模な診療所を開設する予定だ。そこで被災地の心のケアを目指す。だが、幕引きされようとする原発事故への怒りは癒えていない。
「東日本大震災」の名を改めよ
「東日本大震災という名称は改められるべきである」という見出しが、『核惨事!』の冒頭にある。「後代において、東日本大震災とは平成23年に起きた東北地方太平洋沖地震による津波被害を中心とした震災である、として語り継がれることはあるかも知れないが、これによって引き起こされた世界にも先例のない3基もの原発の連続炉心溶解貫徹(メルトスルー)事故のことは抜け落ちてしまいはしないかと危惧するのである」
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