南太平洋の民主国家「東ティモール」の現在

執筆者:北岡伸一2017年9月8日
東ティモールの首都ディリの街並みと海(JICA提供、以下同)

 沖縄の宮古島のあたりをまっすぐ南下していくと、赤道を越えて南緯8度あたりでティモール島とぶつかる。インドネシアの東、オーストラリアの北西にある3万平方キロほどの島である。インドネシアは東西に長いので、首都のジャカルタからは飛行機で5時間ほど、東部のバリ島からも2時間弱かかる。オーストラリア北部の中心都市であるダーウィンからは1時間あまりである。

 西洋諸国の中で、ティモール島を発見したのはポルトガルで、16世紀初めのことだった。やがて、ジャワ島を支配したオランダが勢力を伸ばし、西半分を征服して、東がポルトガル領、西がオランダ領となった。両方はほぼ同じ面積で、それぞれ日本の岩手県ほどの広さである。

 太平洋戦争が始まったとき、ポルトガルは中立だった。しかし、東ティモールは日本がオーストラリアに侵攻する場合の、あるいは逆にオーストラリアおよび連合軍(英蘭豪軍)が反攻する場合の戦略的要地であるとして、連合軍は1941年12月、ただちにここに侵入した。一方日本は、これによってポルトガルの中立は破られたとして、1942年2月に侵攻し、ティモール島全体を支配下に置いた。日本支配時代には、多くの犠牲者が出たと言われている。

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