『週刊新潮』連載の第9~11回で、吉宗(1716年~1745年)による「享保の改革」までを述べた。まとめると、

 (1)元禄・宝永の改鋳:荻原重秀による金貨・銀貨改鋳で、品位低下。(2)正徳・享保の改鋳:新井白石によって品位を戻す。(3)元文の改鋳:吉宗による貨幣流通量の調整。

 その後、江戸時代後期には、以下に見るように、積極政策(重商主義)と緊縮政策(重農主義)の交代が繰り返された。

田沼時代

 田沼意次が側用人・老中として幕政の実権を握っていた1767年から1786年の時期、享保の改革で年貢収入は増加したが、頭打ちとなってきた。これを打開するため、商業活動に新たな財源を見出し、さらに大規模な新田開発と蝦夷地開発を試みた。このため、緊縮政策を捨て、商業資本を重視した積極的な政策を取った。手工業者の仲間組織を「株仲間」として公認、奨励し、運上・冥加などを課税した。また、新貨の鋳造により、財政支出の補填を行なった。

 一方で、賄賂政治がはびこり、幕政は腐敗の極に達した。商業,高利貸資本が農村に進出して、農民の階層分化が進んだ。また、天明の大飢饉などで一揆や打ちこわしが続発したため、意次は失脚した。

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