バンドゥーラの音色にのせて(5・了)祖国に、そして日本に届けたい想い
2017年9月16日

CD『Banduriste II』のために撮影された1枚(筆者提供、以下同)
東日本大震災があってから特に、「チェルノブイリ」について、隠すことはもう何もないと思う反面、正直に言いますと、実は話すことにためらいも覚えるようになりました。
と言うのは、福島の子どもの健康やいじめについてニュースになるたびに、私も同じような辛い体験をしてきたことを思い出すからです。
福島の子どもが鼻血を出すことは原発とは関係ないと言う人もいますが、チェルノブイリの事故でキエフに引っ越した後、私も毎日のように鼻血を出していました。事故のときは私はまだ生後1カ月でしたが、事故のことを政府から何も知らされていなかった私たち家族や近隣住民らは、しばらくの間、普段と変わらない生活をしていたし、子どもたちも外で遊んでいたことは最初にお話しした通りです。
だからでしょう、私たちは小学校に行くようになった年齢でも、事故の影響で体も弱かったし、頭痛も毎日のようにあって、よく学校に遅刻したり休んだりしました。そして本当に辛い記憶なのですが、いじめもあったのです。実際にそういう経験をしているだけに、どうしてもその体験を話すことをためらってしまう。話そうとして記憶の糸をたぐっているうちにフラッシュバックのように当時の光景が浮かんできて、心が痛み、すくみ上がってしまうのです。
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