ブータン国民が感じる幸福度の陰では統治者である国王の苦悩が……(C)Foresight

 

 1960年代初頭、ブータンに「ひとりの背の高い快活な人物」がいた。ロプサンと名乗るその男はブータン人ではなく、「共産中国によるチベット制圧とダライ・ラマのラサ脱出の後、チベットから逃れてきた中国人技師」とはいうものの、じつは満州人だった。そんな人物が、なぜブータンで暮らしていたのか。

 大連の裕福な実業家の家に生まれたロプサンは、東京大学機械工学科に学び、1940年から3年ほどは「日本の首都にある学生寮で暮らし、日本人学生と一緒に生活した」。その後は「シベリアでロシア軍の捕虜として二年間を過ごした日本陸軍航空隊の中尉だったり、毛沢東が創設した最初の戦車部隊の隊長だったり、チベット人が仏の化身と崇め祭った女性の愛人だったり、ラサでは一流の機械技師として慕われたかと思うとその一年後にはゲリラの土地をさまよいながら逃亡する文無しになっていたり、そしてついには、ブータン国王のお気に入りとなった後、鼠がはびこる地下牢で鉄のカセをはめられていた囚人だった」のである。

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