外遊から5年後、37歳の中曽根康弘元首相 (C)時事

 

 今から67年前の1950年。敗戦から5年、まだ復興も進まず、GHQの支配下にあって、海外旅行もほとんど不可能だったころ、世界を見て歩いた政治家がいた。中曽根康弘である。(注1。本文末に、以下同)

 今回は、1950年の中曽根の見聞を手がかりに、世界と日本がこの67年間にどのように変化してきたかを、考えてみたい。とくに中曽根が外交と安保の問題をどのように考えたかを、注意して見ていきたい。

第2の「岩倉使節団」

 中曽根は1918年生まれ。旧制静岡高等学校を経て1941年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、4月、内務省に入った。しかし、在学中に海軍短期現役士官制度に応募して合格しており、内務省に入ってから2週間ほど勤務しただけで、すぐに海軍経理学校に入り、同年8月、卒業して海軍主計中尉となった。そして戦争を経験し、戦後は内務省に復帰したが、祖国の復興の前面に立ちたいと考え、1947年の戦後2回目の総選挙に立候補し、当選した。

 中曽根にとって、海外視察は夢であった。その機会は議員になって3年目、1950年にやってきた。6月から8月まで、MRA(道徳再武装)世界大会出席のため渡欧し、各国を視察している。MRAとは、スイス系アメリカ人の牧師、フランク・ブックマンが1921年ころから主導したもので、平和、和解、独立、反共などのために、道徳の再興を訴え、広く非政府の個人、団体を網羅して推進した運動であり、戦争直後の時期、とくに大きな影響力があった。スイスのコーに本部を持っていた。(注2)

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