ミャンマー軍政の「終わりの始まり」

執筆者:名越健郎2008年7月号

 ミャンマー軍事政権は1989年、「ビルマ」を「ミャンマー」、「ラングーン」を「ヤンゴン」と英植民地時代以前の呼称に戻したが、日本人にとっては「ビルマ」「ラングーン」の方がしっくりくる。 戦後も僧侶として残留し戦友の遺骨を拾う日本兵を描いた竹山道雄の名作を「ミャンマーの竪琴」とは言えないし、「からゆきさん」もいた港町ラングーンの物悲しい響きは「ヤンゴン」では失われる。軍政のやることは、首都移転を含めどこか間が抜けている。 反政府勢力を徹底弾圧する軍政下では、ジョークも禁物だ。軍政を揶揄したコメディアンが逮捕され、禁固5年を言い渡されるなど、「ジョークを口にしただけで連行される」(ニューヨーク・タイムズ紙)という。 昨年9月、僧侶を先頭にした反政府運動を武力弾圧した軍政の幹部は、腐敗、汚職、堕落も伝えられ、その評価は内外で地に落ちた。 ミャンマーの金持ちが虫歯治療のため、インドにやってきた。 インド人の歯医者が言った。「お国には歯医者もいないのですか」「歯医者はいますが、口を開けることが許されないので」 軍政幹部は賄賂にカネを受け取っているとの噂をミャンマー高官が否定した。「絶対にカネは受け取らない。高級車、宝石、不動産ならともかく……」

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。