現代に“模範”を示すマッカーサーの母

執筆者:徳岡孝夫2008年7月号

 日本人が最も忘れられないアメリカ人、ダグラス・マッカーサーは、米国史に残る大将軍の一人だが、彼の父アーサーも傑出した将軍だった。フィリピン派遣軍司令官として赫々たる功績を上げた。ダグラスの前半生は、一日も早く父に追いつくことにあった。母(アーサーの妻)ピンキーも、それを望んでいた。 父の長期出征中に、ダグラスはウェストポイントの陸軍士官学校に入学した。ピンキーは士官学校の近くに家を借り、近距離からダグラスを見張った。しっかり勉強しているか、つまらない女の子とデートしないか、監視したのである。 母の力があって、ダグラスは首席で卒業した。陸軍での栄達は約束された。任官後も、ピンキーは陸軍上層部への運動を続けた。ダグラスは米陸軍史上で最も若い将官になった。そして一九三〇年、ついに陸軍参謀総長を射止めた。 ピンキーは我が子を抱き、肩章の四つの星を撫でながら言った。「ダグラス、あなたはお父さんの夢を叶えたんですよ」。元大統領リチャード・ニクソンがこの逸話を書いている。 ピンキーのこの英才教育を、大規模に実践している国が今日の世界にあって、それは韓国である。私はソウル発のロイター通信(五月二十八日)によってそれを知った。

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