インフレで物々交換が行われるようになった

執筆者:野口悠紀雄2018年2月1日
(C)AFP=時事

 

 第1次世界大戦後のドイツで、インフレが昂進すると、物々交換が行われるようになった。

 靴工場では賃金の代わりに靴を与え、従業員はそれをパン屋や肉屋で食べ物と交換した。

 より長期的な貯蓄のために、人々は必要のない物品を購入するようになった。1923年のアウクスブルク市の報告書によると、ひとりで自転車を6台も買ったり、ミシンを8台も買ったり、オートバイを買ったりしていた。ピアノも人気で、弾かない人たちもピアノを買っていたと、バイエルン州政府は記録している。

 貸付を受けたり債券を発行したりする際、債権者に対する返済を、商品で決めることも行われるようになった。安定的な貯蓄手段を提供しようと考えたオルデンブルク市は、125キロのライ麦パンと同等の価値を持つ「ライ麦債」を発行した。ベルリンでは燕麦、バーデン電力供給会社の場合はウェストファリア瀝青炭45が用いられた。

 貯蓄が無価値となったために、家財道具や、絵画・工芸品、あるいは不動産を手放さなければならなくなった人が続出し、外国からの買い漁り客を引き寄せた。売買を仲介する業者が登場して、この動向に拍車をかけた。

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