京極夏彦『ヒトごろし』 

評者:杉江松恋(書評家)

2018年3月11日

「人ならぬもの」の土方像
新たな倫理を創りだす傑作

きょうごく・なつひこ 1963年生まれ。94年、『姑獲鳥の夏』でデビュー。2004年、『後巷説百物語』で第130回直木賞を受賞。16年、遠野文化賞受賞。著書、多数。

 2つの興奮を味わえる小説だ。
 京極夏彦『ヒトごろし』は、土方歳三を主人公とする時代小説巨編である。現在の東京西部、多摩地域の出身である土方は、富裕な農家に生まれ、混乱の幕末期でしかありえない数奇な生涯を送る。その運命の変転がまず興味深い。悪童(バラガキ)と呼ばれた厄介者は、新選組副長として世人に畏れられる立場になった。流転の日々はそれで終わらず、果てには箱館戦争にまで参加することになる。その変遷を追うだけでも興奮は止まらないのである。
 もう1つ興奮させられるのは、本書が持つ驚きの要素だ。それまで世になかったものが一から創られていくのを間近で観察する感覚を『ヒトごろし』では味わうことができる。実在の人物を主人公にして描いた小説では、いかに独自の人間解釈をして書けるかが肝となる。京極夏彦は土方歳三を、ヒトごろしの魔のような魅力に取り憑かれた男として書くのである。体の内奥から突き上げてくるのはひたすらに「殺したい」という欲求であり、それを満足させる途を探して若き日の歳三は動き続ける。そして、ヒトごろしを咎められることのない立場として、新選組という在り様に行きつくのだ。
 京極作品の特徴として個人の動機を問わないということがある。本書でも物語の関心は、歳三はなぜヒトごろしをしたいのかではなく、それが禁じられているのはなぜか、ヒトごろしが処罰の対象となる社会とはいかなるものか、という問いの方に向けられている。それによって世界は再解釈されるのである。知的興奮の源はそれだ。読者が知る一般の倫理は小説の中で分解され、ヒトごろしを軸としたものとして構築され直す。一つの作品の中にまったく新しい倫理観が描かれる小説こそが真の傑作と呼ばれるにふさわしい。これはそうした作品である。
 物語は10章に分かれており、少しずつ時間を飛ばしながら話は進んでいく。各章で軸になる登場人物が存在するが、歳三による容赦ない人物評は読みどころの1つである。歴史小説ファン向けに説明するならば、『新選組血風録』の列伝的な構成を持つ『燃えよ剣』と言うべきか。
 歳三は自らを人ならぬもの、人外(にんがい)と称する。人の外にいるものだからこそ人が見える、という物語の枠組みは2015年に刊行された『ヒトでなし 金剛界の章』と共通するものがある。お前はなぜヒトなのか、という土方歳三の問いが、すべての読者の胸に突き刺さる。

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