集団農場で農民は再び奴隷になった

執筆者:野口悠紀雄2018年3月29日
(C)AFP=時事

 

 ソ連の農家集団化方式としては、いくつかのものがあったが、アルテリという方式のコルホーズ(集団農場)が最も多かった。

 アルテリでは、耕地と農業施設、機械、家畜、種子など、主要な生産手段と農具の主要部分は共同化されたが、家屋とその付属地(菜園)、およびそれに付随する家畜などについては、私有が認められていた。菜園でとれた作物は自家用にし、あるいは市場へ売ることができた。1933年までに全集団農場の96%がアルテリになった。

 コルホーズとは、「農民が生産手段をプールし、収穫を分配する協同組合組織」と説明されるのだが、その実態は、国家が農産物を強奪するための仕組みだった。国家出先機関であるMTC(機械・トラクター・ステーション)がアルテリと契約し、農業機械を提供する。収穫はまず国家に引き渡し、次にMTCに支払い、残りを農民世帯に分配した。こうして、農業総収穫の4~5割がほとんど無償で国家に提供された。

 コルホーズ員への分配は、労働の質と量に応じた作業日という単位で行われた。自主的組織というのがたてまえだが、実際には、ソフフォーズ(国営農場)の同じ職種の賃率表が規準とされた。

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