まことの弱法師(25)

執筆者:徳岡孝夫2018年4月22日

「室友(ルームメイト)」と夕食に行く時間である。私は図書館の机の上を片付け、サドラー寮に帰った。寮の玄関に夕刊が積んである。10セントか20セントかの新聞代を床に投げ出し、1部を取る。夜が更けた頃新聞屋が来て床の代金をかき集め残った夕刊とともに持ち帰るのが不文律になっていた。その時、私は意外にも「自由民主党」という漢字と「MAINICHI PHOTO」という字を積まれた新聞の第1面に見た。

 ニューヨーク州の田舎に来て、我が所属や社名を忘れ、ひたすらジャーナリズムを勉強しようと思ったのに、毎日新聞は私をここまで追っかけてきたのか。夕刊を1部取った私は部屋へ持って帰って広げた。第1面ほとんど一杯を占めていたのは日比谷公会堂の3党党首立会い演説会で演説中に刺し殺されようとする浅沼稲次郎社会党委員長と止めを刺そうとする少年の刹那のショットと第2撃を狙う刺客の写真で、背後に演説者の名が垂れ幕になっている。その「自由民主党」という垂れ幕が翻っていたので目に入ったのだ。

「MAINICHI PHOTO」は写真の出所を報じていた。

 報道はニュースを知らせるというより、決定的瞬間を撮った写真を見せるのが主力のようだった。記事の内容を覚えていないが政治家の暗殺は戦前から日本政界の常のことだという趣旨のことが簡単に書いてあったと記憶している。米国で政治家が暗殺されれば当時の日本の新聞は直ちに「米国の病根」と書いただろう。浅沼事件を報じるシラキュースの夕刊紙はそういう解説を書かず、ただ聴衆の目前で著名な政治家が殺され、その瞬間が撮影されたというジャーナリズムの好運の方に焦点を合わせているようだった。

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