北京オリンピックが幕を開けた。張芸謀監督の演出による開幕式典のページェントは、中華文明の人類史への貢献を謳いあげた。活版印刷や羅針盤といった発明と共に、先進文物が「下った」通商交易路を現出させるのも見せ場だった。洛陽からシリアに至るシルクロードと、十五世紀初めに鄭和の艦隊が行なった南海遠征、いわば「海のシルクロード」への航海が絵巻のように描き出された。「西域」を横断するシルクロードは、奈良時代の日本にとっては「仏教伝来」の道だったが、その後の中国にとっては「イスラーム伝来」の道となった。鄭和も雲南省生まれのイスラーム教徒である。七次にわたる遠征では、イスラーム教徒が支配的だった東南アジア・南アジアの交易路を辿り、インドのカリカットや、ペルシャ湾のホルムズ海峡、アラビア半島のアデンにまで達した。 開幕式典の舞踏には、中国のさまざまな少数民族の衣装をまとった踊り手たちが入り乱れるシーンもあった。しかし聖火リレーが暴力沙汰と厳戒態勢の中で進んだことを考えればいかにも空々しい。 北京オリンピックは中国が大国として国際社会に復帰したことを宣言する機会であり、帝国の栄光を取り戻した瞬間となるはずのものだった。しかし異民族・異教徒の統治に苦しむ帝国としての困難を露呈する機会にもなってしまった。チベットについては国際的批判に応えて対話の姿勢を見せもした。しかし「テロリスト」と認定して、苛烈な弾圧で封じ込めてきた新疆ウイグル自治区を中心にしたイスラーム主義勢力の活発化が、厳しい報道管制の下でさえも伝わってくる。

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