福田康夫首相は、解散で有権者に提示すべき争点をまず頭に描き、内閣改造に踏み出したはずだ。それに先立ち厚生労働大臣に対して「五つの安心プラン」の策定を指示している。(1)高齢者(2)医療サービスの受診(3)子育て支援(4)派遣とパートタイム労働などの非正規雇用(5)厚生労働行政への信頼の回復、である。いずれの項目も避けては通れないものであり、いかなる立場の有権者といえども自らにかかわるものとして一言あるはずのものだ。 ところが内閣改造の直前の七月二十九日に発表された「社会保障の機能強化のための緊急対策―五つの安心プラン」は、百を超える項目を並べたてたものの、来年度予算の概算要求の前倒しと酷評せざるをえないものだった。有権者に問うべきものが依然として不明のまま政局は解散、総選挙への日程をひた走りそうである。ここは有権者がいちど立ち止まって、日本社会の持続性を規定する枠組みについて明瞭に思い描く必要がある。ノリとハサミによる切り張りは学生の安直な論文づくりにとどまらず、行政府の内部の、IT時代を象徴する作業と化しているからだ。厚労省「腐敗臭」の根源 だが、切り張り手法はIT時代に特有のものではない。日本の社会保障制度の設計は実は当初から「切り張り」だった。なぜか。それは単年度ごとの社会保障支出の財源について「本人負担、社会保険料負担、公費助成の三本立て」としたところから始まる。「自助、共助、公助」とこれを並べ替えれば、さほど不思議なことではないとの受け止めもあろう。しかし統治という機能を介してこれをみれば、共助と公助の恣意的な使い分けほど剣呑なものはない。

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