芦沢 央『火のないところに煙は』

評者:大森 望(翻訳家・評論家)

2018年7月28日

二重三重に周到な仕掛けが
張りめぐらされた実話調怪談

あしざわ・よう 1984年、東京生まれ。2012年『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。『貘の耳たぶ』『バック・ステージ』など著書多数。

 梅雨が明け、猛暑がやってくると、怪談シーズン本番。毎年、いま時分に出る月刊小説誌の8月号では、怪談特集、ホラー特集を組むのが恒例になっている。毎度似たような特集では芸がないと思ったのか、一昨年の〈小説新潮〉8月号は、新潮社が位置する東京・神楽坂を舞台にした“神楽坂怪談”特集だった。
 この特集のために書かれたのが、著者にとって初めてのホラー短篇となる芦沢央「染み」。本書『火のないところに煙は』は、その短篇を第1話とする、全6話の連作怪談集ということになる。
 “「小説新潮」から短篇小説の依頼を受けたのは、二〇一六年五月二十六日、『許されようとは思いません』という本の再校ゲラを戻し終えたまさにその日だった“というのが第1話の書き出し。作者自身が8年前に実際に見聞きした出来事として怪異を語ったうえで、この話に何か思い当たる点がある方は編集部までご一報を――と結んでいる。
 映画化もされた小野不由美の長篇『残穢』を思わせる実話スタイルだが、本書に収められた各篇の際立った特徴は、怪談色と同じくらいミステリ色が強いこと。といっても、なにしろ怪談なので、出来事自体は科学的に解明できない。たとえば、第1話の核になる怪異は、地下鉄・東京メトロのドア横ポスターに点々と散る、赤黒い小さな染み。それぞれフレームに収められていて、あとから細工できるはずもないのに、なぜか特定の広告担当者を追うように染みが見つかる。これは死者からの怨念を込めたメッセージなのか?
 こうした超自然的な現象の背後に潜んでいる(かもしれない)“論理“を見つけ出し、「そうだったのか!!」という驚きと納得と恐怖を読者に与えるのが本書の眼目。この高いハードルを楽々とクリアする鮮やかな筆さばきは惚れ惚れするほど。中でも、ミステリ的な納得感がいちばん強い(オチがきれいに決まる)のは第3話の謎解きか。
 しかし、犯人が自白したり警察に逮捕されたりするわけではないので、作中で提示される解決の正しさは必ずしも保証されない。怪談なればこそのスッキリしないモヤモヤと不安が残るわけだが、著者はそのモヤモヤを逆手にとり、書き下ろしの最終話で、さらにまた鮮やかなどんでん返しを決めてみせる。精緻な本格ミステリさながら二重三重に周到な仕掛けが張りめぐらされた、実話怪談の戦慄迷宮。くれぐれも足もとにご注意を。

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