灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(5)

執筆者:佐野美和2018年8月12日
まだ髷を結っていた頃の藤原あき。正確な撮影年は不詳。この後、あきは波瀾万丈の人生を送ることになる(自伝『雨だれのうた』(酣燈社)より)

 

     17

 中央通り銀座6丁目の交差点を、帝国ホテル方面の交詢社通りに入ると、1つ目のかどに交詢ビルディングがある。通りに面した1階にはアメリカの高級百貨店、バーニーズニューヨークがテナントで入っている。

 バーニーズの2つの入り口とは違う西五番街通りに、「交詢社」の歴史を感じさせる看板が目立たぬようにさりげなく掲げられ、それでいてよく見ると上品で荘厳な入口がある。

 交詢社は福澤諭吉の発案により明治13年、日本で最初に立ち上げられた社交クラブであり、いまも活動を続けている。

 受付をすぎて先に進むと、広い待合室には上質の革張のソファとテーブルがそこかしこに置かれ、スーツを着た年配の男性グループがそれぞれのテーブルで談笑している。青が基調の絨緞、長方形に上が丸く切り取られた窓に、真っ白いカーテンがかかっている。けっして豪華ではないが、上質な空間がある。

 そして奥の大食堂に向かう中庭と呼ばれる空間の頭上には、1メートルをゆうにこえる中上川彦次郎の肖像画が、創設者の1人として掲げられている。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。