トルコ「世俗とイスラムの共存」は可能か

執筆者:吉岡良2008年9月号

女子学生のスカーフ着用を解禁するか否かで、与党の解党が議論される国柄。いまだ「民主主義の実験」を続けるトルコの行方は――。[アンカラ発]トルコでは毎年、数千人ともいわれる女子学生が海外に留学する。イスラム教徒が人口の九九%以上を占めるにもかかわらず、国内の大学ではイスラム教徒の女性が髪を人目に触れさせないために使うスカーフの着用が許されないからだ。国内の大学に通う場合、苦肉の策としてスカーフを覆い隠すかつらをかぶる女子学生も多いとされる。 そのトルコで、一人の検察官の訴えのために、一年前の総選挙で投票者全体の四七%に相当する千六百万人超から得票したイスラム系単独与党・公正発展党(AKP)が“抹殺”されそうになった。提訴の理由は、AKPが女子学生の大学でのスカーフ着用を解禁させようとするなど「国是の世俗主義に反する行動を取った」というものだった。 こうした現実は、西側的基準でみれば「自由の抑圧」「反民主的」と映る。しかし、トルコの世俗派は「国家のイスラム化を防ぐには不可欠な措置だ」と信じて疑わず、AKPの一挙一動を警戒する。 世俗的とは、特定の宗教などの規律や伝統にあまりとらわれない状態を表すことが多い。神社で初詣をし、キリスト教のクリスマスを祝い、仏教の葬儀を営む多くの日本人は世俗派が圧倒的。教会に行かないキリスト教徒や、酒をたしなむイスラム教徒などもしばしばそう形容される。しかし、トルコの世俗主義は「とらわれない」のではなく、それ自体が強い社会規範になっている。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。