セルビアとコソボに見る「遠い和解」

執筆者:中尾卓司2008年9月号

世界を驚かせた行方不明の「大物戦犯」の拘束。こうして時に耳目を集める旧ユーゴだが、希望ある未来への道のりは遠い。[ベオグラード発]七月二十一日、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(一九九二―九五年)当時のセルビア人勢力政治指導者、ラドバン・カラジッチ被告(六三)の拘束は、トップニュースとなって世界を駆け巡った。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)から「人道に対する罪」で起訴され、九六年に逃亡して公の場から姿を消した大物戦犯が十二年ぶりに拘束されたのだ。しかも、セルビアの首都ベオグラードで堂々と暮らしていた大胆不敵さが世間を驚かせた。セルビアではカラジッチ被告を英雄視する主張が罷り通り、旧ユーゴ崩壊の過程で続いた内戦の過去を清算できない民族対立の根深さが露呈された。 ニューベオグラード地区は、一九五〇年代後半から共産政権下で住宅地として開発され、最近は企業や工場が進出し、建設工事が進む。カラジッチ被告はここで「ドラガン・ダビッチ」を名乗り、自然療法士になりすましていた。幹線道路の角にカフェバー「マッドハウス」があった。カラジッチ被告が、民族主義者が集うこの店を気に入ってよく通っていたと聞きつけ、店を探し出した。ボスニア内戦当時の精悍なカラジッチ被告の顔写真が酒類の瓶が並ぶ棚に掲げられ、馬の尻尾の毛でつくった一弦の楽器「グスレ」が柱に立てかけてあった。十人も座れば満席になる小さな店だ。

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