忘れてしまった日本人の感性、
それは“多様性”と“寛容さ”

Everett Kennedy Brown 1959年、米ワシントンD.C.生まれ。フォトジャーナリスト。88年に日本に移住。著書に『俺たちのニッポン』『日本刀』(松岡正剛氏との共著)等。

 ウォール街には『誰しも自分のバックスウィングを見ることはできない』というゴルフに例えた相場格言がある。相場に翻弄されて損を重ねている時、きっと何かがおかしいのだが自分では気付けない。そういう時は冷静な第三者に聞くに限るのだ。
 何故最近の日本は元気がないのか、どうすればかつて存在した素晴らしい日本を取り戻せるのだろうか? この本には日本の文化や歴史、伝統を愛してやまない外国人から見た本来の日本が描かれている。
 黒船の時代には西洋人達が深く感銘を受けた古き良き日本があった。話はそこから始まる。著者は黒船時代の古い写真技術である「湿板(しっぱん)光画(こうが)」技法で切り取った日本の「面影」をたよりに、日本の文化の素晴らしさ、伝統を再発見してゆく。邦題は「失われゆく日本」だが、英題は Japan:Endless Discovery である。
 物質にあふれた現代において、人を幸福にするものは物質ではなく感性である。古き良き日本にはそうした感性にあふれていた。
 著者の並外れた好奇心と人脈を形成していく能力は、同じ志を持つ様々な日本人達と結びつき、現代にも残るそうした感性を掘り起こしていく。相馬の「野馬追(のまおい)」から始まり「宗像(むなかた)大社」、その他多くの職人、芸術家、地域に根ざす人達。幕末に日本を訪れた外国人達も、当時の日本人には到底できないような地域や階層を越えた自由な旅をしたからこそ発見できたものがあったはずだ。
 日本は明治時代に強力な近代国家を形成する過程で西洋流の国家統治を図った。地域の神々はキリスト教文化による統治を真似た「国家神道」にとって代わられた。この時日本は強力な国家を得ると同時に失ったものも多かった。だからこそ幕末の古い技法の画像で現代の日本を見直すと西洋化されていない本来の日本を発見することができるのだ。
 縄文時代の日本列島は決して窮屈な単一民族の地域ではなかった。日本は海によって閉ざされた地域ではなく、海によって開かれた地域であったはずだ。本来の日本の魅力とは豊かな多様性とそれを容認する寛容さにあったのではないかと著者は現代の日本人に問う。
 閉塞する現代の日本。外国人、地方、あるいはジェンダー(性差)など多様性を取り戻すことこそが日本を回復させる手立てではないか。
 湿板写真が醸し出す古き良き『逝きし世の面影』(渡辺京二)へのオマージュ、読み物としての完成度は高い。

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