葉室 麟『影ぞ恋しき』

評者:縄田一男(文芸評論家)

2018年10月6日
はむろ・りん 1951年、北九州市生まれ。2004年『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。著書に、『蜩ノ記』『墨龍賦』など多数。17年12月没。

〈いのち三部作〉完結篇にて
葉室麟、最期の長篇――

 本書『影ぞ恋しき』は、『いのちなりけり』『花や散るらん』と続いた、葉室麟の、いわば〈いのちの3部作〉ともいうべき連作の完結篇で、遺作である。
 私は、『いのちなりけり』を読んだ折、この作品にとことん惚れ込み、直木賞を逸したとき、手前勝手な義憤を感じ、文庫本の解説に、これは直木賞にとっての瑕瑾であっても葉室麟にとってのそれではない、と書かずにはいられなかった。
 そして、昨年の12月23日、作者が急逝した際、不遜にもいちばん気になったのは、本書が完結したか否かであった。昨年7月31日、作品は見事に完結していた。
 従って編集者から、今度の巻頭書評は何にしますか、と問われて、とっさにこの1巻の題名をあげたものの、次の瞬間からとたんに後悔がはじまった。本の帯に「わたし自身が自らの人生について考え出した解答である」と作者の文言が記してあるではないか。何しろ葉室麟は、五味康祐以来の教養と詞藻(しそう)の持ち主である。そんな作家が生命懸けで書いた作品と渡り合うことができるだろうか。
 私は虚心坦懐に1巻目から読みはじめた。『いのちなりけり』は、主人公・雨宮蔵人(くらんど)が、龍造寺家庶流の娘・咲弥(さくや)の婿になるところからはじまるが、その咲弥から自分の心を表す和歌をあげてもらうまでは、寝所をともにしない、と宣言されてしまう。そして蔵人は、17年かかって、1首の歌を咲弥に捧げる、という、時代小説史上、類を見ない純愛小説である。もちろん、その一方で、幕府と朝廷の政争というチャンバラ小説の要素もたっぷりと盛り込まれている。
 続く第2作『花や散るらん』は、奇縁によって、蔵人と咲弥の養女となる吉良上野介の孫・香也(かや)が、赤穂浪士の討入りを目のあたりにする物語である。
 そして完結篇『影ぞ恋しき』は、その4年後、鞍馬山で暮らす蔵人らのもとに吉良家の家人(けにん)であったという冬木清四郎が訪ねてくることで幕があく――。本書は、三度(みたび)勃発する幕府と朝廷の抗争をはじめ600ページ近い大部の1巻の中で様々な物語が展開する。その中で、手巾を用意しなければならないのは、ラストの湊川の対決へ向けて放たれる人々の言(こと)の葉(は)――これは敵味方を問わない――の数々。
 そして深手を負った蔵人の元へ、私は夫が17年かけて贈ってくれた歌に返歌をしていなかったと急ぐ咲弥。紛れもない名作の完結である。

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