灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(18)

執筆者:佐野美和2018年11月18日
若き日の藤原義江。撮影年は不詳だが、撮影者は、第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市の「藤原義江記念館」提供)

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 大分県杵築の西林寺に小僧としてあずけられた孝順(藤原義江)は、年でいうとまだ小学校に入ったくらいの年齢で遊びたいさかりだった。当然のように、寺の修業やお務めなど身に入らず、時に仏様のいる本堂にまで追いかけっこで土足でかけぬける腕白小僧ぶりを発揮していた。

 孝順が乃木将軍となり1人勝ちする「戦争ごっこ」は、その度に和尚が相手の家に出かけて行って頭を下げた。

「うちの孝順が、たいへん失礼しましたばい」

 若くともこの和尚がわざわざ出向いて頭を下げれば、「子供の喧嘩」で両成敗されてことは収まった。

 しかし先日の派手な「戦争ごっこ」で、ポカポカと殴ったあげく手荒く木に縛りつけた権之丞の父親「馬喰の権」こと権四郎は、考順を許してはいなかった。

 そんな矢先にまた孝順が権之丞に暴力をふるった。

 鼻血が止まらない権之丞は、顔面血だらけで自分の家に駆け込んだ。

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