国交樹立30周年「日本」と「ミクロネシア連邦」の架け橋となった「日系人」の物語(上)
2018年11月20日

首都パリキールのある国内最大のポンペイ島から太平洋を一望(ミクロネシア連邦政府提供)
日本から南へ4000キロ。サイパン、グアムのすぐ先に位置するミクロネシア連邦は、ギリシャ語で「小さい」という意味の「ミクロ」と「島」を表す「ネシア」が合体した名前の通り、607の小さな島々と環礁からなる太平洋の島嶼国だ。
「ミクロネシア=国」というイメージがない人も多いだろうが、オセアニアのうちハワイとニュージーランドの東側を「ポリネシア」、西側の赤道以南を「メラネシア」、赤道以北を「ミクロネシア」と呼び、そのミクロネシア地域の中にサイパン、グアム、ミクロネシア連邦などがある。
さて、この人口11万、国土700平方キロメートル(奄美大島ほど)の小さな国に、多くの日系人が暮らしていることはあまり知られていない。
1890(明治23)年に「南島商会」(現「南洋貿易」、東京都千代田区)という貿易会社が支店を開設すると、続々と他社も進出。従業員の移住がはじまった。戦前の一時、日本の委任統治領だったこともあり、5万人の現地人に対し8万人の日本人が暮らしていたという。戦後はアメリカの信託統治領となり、1986年にミクロネシア連邦として独立した。
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