薬師堂の摩崖仏を見上げる石井さん(左)(筆者撮影、以下同)

 

 1000年以上前の知られざる磨崖仏(まがいぶつ)群が福島県南相馬市にある。

 一昨年、東京電力福島第1原子力発電所の事故による避難指示が解除された小高区の泉沢地区。福島県内の多くの被災地と異なり、大半の世帯が帰還し、磨崖仏群の保存会の活動に集う。

 元原発作業員、石井光明さん(71)の家には孫娘も生まれ、「保存会の長年の絆が、離散を乗り越えて集落をよみがえらせた」と語る。

大悲山の薬師如来

 10月半ばの日曜朝、小高区を訪ねた。福島第1原発に近い同県浪江町に隣接し、事故直後に警戒区域(原発から20キロ圏)となり、全住民が避難を余儀なくされた。旧相馬中村藩の時代から商人町として栄え、2011年3月の原発事故前には1万2842人が暮らした。2016年7月に避難指示が解除されたが、登録人口は8313人に激減し、そのうち実際に帰還した住民はほぼ3人に1人の2921人(9月30日現在)。半数が60代以上だ。

 JR小高駅から延びる目抜き通りなど中心部には、シャッター街の風景に解体された店や家屋跡の空地が広がる。小高商工会の290事業所のうち地元に戻ったのは建設業など1割弱で、食料や日用品の店は乏しい。住民の定住を助ける公設民営のスーパーや、新たな商業施設や広場などを配する「復興拠点」エリアの整備を、市が急いでいるさなかだ。

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