私が犯罪によって妻を失ったのは一九九七年十月、本村洋君が最愛の妻弥生さんと生後十一カ月の夕夏ちゃんを失ったのが、一年半後の一九九九年の四月である。私は六十八歳、本村君が二十三歳のときだが、その精神状態は驚くほど似ていた。 一家の主の最大の義務は、家族の安全を守ることである。しかしながら、私の妻は、仕事上で私を逆恨みしていた男に殺害された。私は、家族の安全を守ることができなかったばかりでなく、家族を犠牲にすることによって命が助かった。自責の念に苦しみ、死を願い、妻の倒れていた場所で凍死を試みたこともあった。本村君も、家族を守れなかったことに苦しみ、死を覚悟して遺書まで書いていた。 私が初めて本村君に会ったのは、一九九九年十月三十一日である。 その日、私を含めた犯罪被害者五人が、私の事務所に集まった。本村君は、少年の面影がまだ残っていて見るのも痛々しい姿の青年だった。 五人はそれぞれの悲痛な体験を語り合った。刑事裁判は、加害者の権利は憲法や刑事訴訟法で十分に保障するが、犯罪被害者の権利は何一つ認めていない。犯罪被害者は、身体的、精神的、経済的に一生立ち上がれないくらいの被害を受けながら、どこからの支援もない。

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