チョン・セラン 斎藤真理子・訳『フィフティ・ピープル』

評者:北村浩子(フリーアナウンサー・書評家)

2019年2月16日
Chung Serang 1984年ソウル生まれ。2010年、「ドリーム、ドリーム、ドリーム」で作家デビュー。著書に『アンダー、サンダー、テンダー』『島のアシュリー』など。

大学病院を接点に50人の人生の
断片をつなぐ連作短編集

 人間社会に生きているというごく当たり前のことを、たまらなく恐ろしく思うときがある。人は皆、分かり合うという次元のはるか手前にいるのではないかと感じてしまうときだ。1人1人異なるから、かかわると軋む。でも、異なるからこそ生まれる小さな奇跡がある。その奇跡のバリエーションを、ソウル近郊の大学病院を接点にして描いたのがこの『フィフティ・ピープル』だ。
 病院を「惨憺たる遊園地」のようだと思っている救急医学科のレジデントのギユン。耳の中に入った蜂をギユンに取ってもらったウナム。彼が妻と出掛けたゴルフ場でキャディーとして働いていたヘリョン。彼女の妹と結婚した、病院の人事課に勤めるシチョル……それぞれの名前を各章のタイトルに据えてランダムに提示される、約50人の人生の断片。そこに埋め込まれた人間関係の線を、読みながら頭の中で引いて行くのが楽しい。彼らは主人公にも脇役にもエキストラにもなり、薄く濃く影響を与え合う。主人公にはならないのに、強烈な印象を残す人物もいる。
 子どもの貧困、パワーハラスメント、大学における文化系学部の統廃合。各エピソードには日本とも共通するさまざまな社会問題が映し出されている。自分と似たような状況に置かれている人の物語に、胸を衝かれる読者も多いだろう。ところがこの作品は、共通点がまったくない人物の行動や心情にも共感させる、いや、共感以上のものを覚えさせる力を持っているのだ。
 たとえば、愛する妻と穏やかに暮らしている70代のホ先生。著名な感染症内科専門医の彼は、半リタイアの生活を送りながら、低所得者の住む地域を定期的に訪れている。ノブレス・オブリージュを体現する幸福なシニアだ。こんな「勝ち組」の高齢者はそうはいない。しかし、運に恵まれ続けたと自覚している彼が人生の不公平さに想いを致すときの無力感を、心のとても近いところで共有する読者は少なくないはずだ。ラスト近くで、彼が悩める若者に投げかける真摯な言葉は忘れがたい。
 現実社会の隣人たちに、ひとしく優しい気持ちを持つのは難しい。でもこの物語を読んだあとでは、すべての登場人物の─―暴力でしか後輩を教育できないデヨル医師のような人物に対しても─―行く末の幸を祈らずにはいられなかった。どんな人にも他人には見せない、見えない背景があると気付かせてくれ、心の内側の善なるものを喚起してくれる。これはそんな小説でもある。

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