3.11被災地「神社無償再建」に込めた「地域再生」への思い
2019年3月15日
福島県双葉郡浪江町両竹(もろたけ)地区の、標高25メートルほどの高台に小さな神社がある。「建御名方神(タケミナカタノカミ)」を祭神とする諏訪神社だ。
社伝によると9世紀初め、蝦夷征討に出立した征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地で勧請して創建された、とされる。今に残る最古の棟札は宝永5(1708)年のものであり、明治5(1872)年には村社の社格を得て、長らく地域住民の篤い崇敬を受けてきた。
そして2011年3月11日14時46分――震度6強の激しい揺れが浪江町を襲った。さらに最大15.5メートルもの津波が押し寄せ、両竹地区の全戸が流出した。
地震発生後、約50人の住民が高台の諏訪神社に避難した。ところが本殿は倒壊し、拝殿も半壊している。もはや家に戻ることのできない避難者たちは、本殿の木材を燃やして寒さをしのぎ、翌日自衛隊のヘリに救出された。諏訪神社は避難者を救ったのだった。
だが、災難は続く。諏訪神社の南約5キロにある東京電力福島第1原子力発電所の事故によって、2年前の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の解除まで、6年に亘って居住できなくなってしまったのだ。
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