灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(43)

執筆者:佐野美和2019年4月29日
若き日の藤原義江。撮影年不詳だが、撮影者は第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市「藤原義江記念館」提供、以下同)

七色の テープの虹のかなたにて ほほえみながら涙する君

 

さかりゆく 二人をつなぐ色紙の 紅きはきれぬ紫もまた

 

かくばかり 寂しきものか一人の君 この国にあらぬのみにて

 

思われて 思いて生けりそれをのみ 富ぞとなして悔いなき身なり

 

命おし 君とあう日のたまゆらの よろこびのためかなしみのため

 

夢に来て 君が吸いたる唇の 紅きが寂し朝のかがみに

 

言い残し 聞き残したることあまた あるここちして君を送りし

 

何千里 君はゆくとも帰り来むは 大天地にわが胸一つ

 

かえりませ とくかえり来てくちづけに わが吐息をば吸い取りたまえ

 

 さみしさを紛らわすために、義江との逢瀬を思い出すとき、1人の世界に入りたい時に、あきは歌を詠んだ。

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