大国の核も小国の核も、現実の使用は難しいのだ (C)AFP=時事

 

 こうした状況にある現代、核は果たして本当に使える兵器なのでしょうか。それはつまり、核抑止という論理が今でも有効なのかどうか、という疑問でもあります。

「核」は「使える兵器」なのか

 ずっとお話ししてきているように、抑止とは倍返しの能力と意志の掛け算なのですが、少なくとも核を使うという意志がはっきりしないと、実は核抑止は成立しないだろうというのが、非常に素直なロジックなんですね。

 そこで出てくるのがNCND(Neither Confirm Nor Deny=否定も肯定もしない)です。これはアメリカの伝統的政策で、核兵器の配備については肯定も否定もしないという曖昧政策が抑止だったのですが、これは冷戦時代だからこそ言えたことではないのか、と思います。

 というのは、全面戦争になれば核兵器を必ず使うことがわかっているわけです。問題なのは、今そこに核があるかどうかわからない状態が怖い、ということ。暴力団の抗争にたとえると、相手がピストルを持っているかどうかわからないけれども、いざとなったら相手は必ず使ってくるという認識があると、あるかないかわからない状態が怖いのと同じことです。つまり必ず使うと認識しているから、抑止が成り立つわけです。ところがそれが崩れると、抑止は成り立たないと論理的に考えられるわけです。

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