明治期末からの新聞切り抜きコレクションとして知られる神戸大学附属図書館の「新聞記事文庫」を検索すると、「蓖麻」「ひまし油」というキーワードで六〇件近い記事がヒットしてくる。モンスーン地帯のやせた土地に生育するひまは、唐胡麻とも言われ、そのタネを搾ると、ひまし油ができる。ひまし油は古くから下剤として使われてきた。しかし、ヒットした記事の多くは、その工業用としての価値に注目し、台湾など旧占領地でのプランテーション栽培の可能性などを伝えたものだ。 たとえば、一九三二年(昭和七年)九月二六日付の「台湾日日新報」は、「航空機の必需品蓖麻の栽培 帝大及農業部の研究により本島に於て頗る有望視さる」という見出しで、次のような内容を伝えている。「ひまし油は、航空機の発動機の減摩油としても使われており、車油用、フィルム原料、頭髪用ポマードとしても混合使用されている。産地はインドとブラジルだが、各国の輸入競争は激しく、そのため帝大は台湾の山野での栽培研究を進めている。その結果、世界のひまし油よりも良質な種の開発に成功し、台湾本島の一大産業になる可能性がある」。 列強による石油封鎖を受ける(一九四一年)よりも前の話だが、石油資源の乏しかった日本が、化学の分野でも石油代替物質の開発に早くから危機感を持って取り組んでいたことを実感させられる記事だ。

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