ありし日の対馬勝雄中尉(波多江さん提供、以下同)

〈或る冬の寒い日、私が雪に足をとられ乍ら小学校から帰ると、家の入り口に立派な一頭の馬がつながれていました。

 私は馬がこわくて家に入れず、まごまごしていると、何に驚いたのか、いきなり馬が飛び上がり、結んでいた綱が外れて走り出しました。

 私は驚いて大声を上げました。すると家の中から軍人が出てきて、あわてて逃げる馬を追いかけていきました〉

 この連載の主人公、波多江たまさん(青森県弘前市で今年6月、104歳で死去)は、7歳になって間もない1920(大正10)年の暮れか、翌21年初めの出来事だった――と、自らの記憶を掘り起こしたノートにつづった(勝雄の遺文や書簡、家族の手記などをまとめた自費出版本『邦刀遺文』=1991年=の下書きとしたノート類)。

 青森市相馬町の対馬嘉七さん、なみさん夫婦と長男勝雄=後の歩兵中尉、1936(昭和11)年の二・二六事件で蹶起し刑死=、長女タケ、次女たま、三女きみの一家(連載第4回参照)が暮らす粗末な家に、突然、馬でやって来た軍人。学校帰りのたまさんが家に駆け込むと、鉄瓶を吊るした囲炉裏の回りにたくさんの書類が散らばっていた。

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