ピョン・ヘヨン 姜 信子・訳『モンスーン』

評者:豊崎由美(書評家)

2019年11月3日

救いも癒やしもないが、目を離すことができない9篇

Hye-young Pyun 1972年、ソウル生まれ。明知大学文芸創作学科教授。2000年、短篇小説「露払い」でデビュー。著書多数。邦訳に『アオイガーデン』『ホール』がある。

 ただでさえ、不愉快なことばかりが起きているのに、小説でそんなものは読みたくない。はいはい、わかりますよ、その気持ち。わかった上で、ピョン・ヘヨンの短篇集『モンスーン』を熱烈推薦する次第。
 試しに表題作を読んでみて下さい。主人公は、妻との関係がぎくしゃくしてしまっているテオ。物語冒頭、黙って転職したことを打ち明ける場面でも、行間から立ち上るのは冷たい空気だ。2人が住んでいる団地では、電気設備の修理のために2時間の夜間停電が予定されている。闇の中でなら、じっくり話すことができるかもしれないと考えていたのだが、そこでも気持ちのすれ違いが起き、彼は1人外出してしまう。駅前のバーに入店すると、妻の勤務先である科学館の館長に話しかけられ――。
 読み始めてすぐ、読者は夫婦のぎくしゃくのきっかけが赤ん坊の死であることを知らされる。その詳細について、作者は語らない。が、テオは館長と会話を重ね、赤ん坊との日々を思い出すうち、自分の中にある妻への冷たい感情の芯をつかんでしまうのだ。ずっと心の中にあったのに、気づかないように気づかないようにしてきた芯を。
 作者は、読者に夫婦の事情をはっきりと説明せず、最小限の描写によって主人公自身に気づかせることで、読者の想像力を誘発し、物語の外から中へ引きずりこむという、とても難しい語り口に成功している。そして、この小説の中にある不安や不穏を、わたしたちも経験したことのあるそれと同調させてしまうのだ。
 夜の色を深めていく森の描写が、主人公の不安定な精神を象徴して見事な「散策」。孤独な主人公の、危険なまでに鈍感な精神生活に震撼必至の「同一の昼食」。少年の視点を通して、無常かつ無情に変化していく人生と、それでも生きていかなくてはならない諦観を描いて切ない「少年易老」。その他5篇を収めたこの作品集で作者が描き出すのは、繰り返される日常の出口が見つけられない絶望、それゆえに引き起こされる不条理、人間関係がもたらす不安や不信、生きていくことへの懼(おそ)れだ。
 この9篇のどこかに、自分を見つけることができる。読めば、自分の中の闇をのぞきこむことになる。だからこそ、救いも癒やしもない物語ばかりなのに目を離すことができない。イヤなことから目をそむけてばかりいると、表題作のテオのように隘路にはまりこむ。あえて読む、読んで知る。この、とてつもなく握力の強い1冊で。

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