ありし日の対馬勝雄中尉(波多江さん提供)

 山形県酒田市から国道7号を日本海沿いに北上すると、東北の名峰・鳥海山のふもとの遊佐町に至る。道を脇に折れて少し急な坂道を上ったところに、うっそうとしたクロマツの林に囲まれた広場があった。

 遠い海鳴りのほかは時が止まったような薄暗い一隅に、直径10メートルもある円形のこんもりした塚が築かれ、見上げるような石柱が立っている。刻まれた文字はただ「南無妙法蓮華経」のみ。塚の隣には墓碑銘のように、

「私はただ仏さまの予言と日蓮聖人の霊を信じているのです」

 と彫られた石がある。不思議に宗教的な雰囲気の漂うこの場所が、天才的な軍略家といまも語られる陸軍中将石原莞爾(1889~1949)の墓だ。

石原莞爾と満州

山形県遊佐町にある石原莞爾の墓(筆者撮影)

 本連載の主人公、青森出身の対馬勝雄陸軍中尉(1936年の二・二六事件に参加し刑死)と同じく東北の旧庄内藩士の家に生まれ(現在の鶴岡市)、仙台陸軍地方幼年学校を首席で修了。東京陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校(第21期)から陸軍大学校に進んで次席で卒業し(恩賜の軍刀授与)、類まれな頭脳を賞されたという。

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