灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(102)

執筆者:佐野美和2020年5月24日
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』=ダヴィッド社、1956年=より)

 藤原あきが国会議員への道に進むという大きな決断をしたように、あきと義江の夫婦関係に終止符を打たせた砂原美智子も女の決断をしていた。

「私、イスラエルに移住するわ」

 パリの「オペラ・コミック座」の正会員としてフランスと日本で活動していたが、テルアビブの国立歌劇場の専属歌手として好条件で招かれたのだ。

 ユダヤ人の故郷イスラエルは地中海の東の果て、エジプトの北にある小さな国で、昭和23(1948)年に建国された。

「パリにいたときイスラエルのナショナル・オペラからの電話で『蝶々夫人』に出演してくださいという依頼があって、一度歌いに行ったのがきっかけよ。はじめ、イスラエルがどこにあるかも知らなかったけれど、365日オペラを演っているようなところなの。じっくりとイスラエルに腰をすえて、オペラに向き合うわ」

 そして砂原は日本のオペラの状況をこうなげく。

「日本ではオペラが根付いていないどころか戦後の状況に比べても、より悪い状況ね。初日の前日まで切符を売り歩く『トスカ』なんているかしら。みんなそれぞれの稽古に加えて、切符売りという過酷な仕事も同時に抱えているのよ」

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