ありし日の対馬勝雄中尉(波多江さん提供)

 1931(昭和6)年9月18日の満州事変勃発から2カ月後。陸軍第八師団(司令部・弘前)の弘前、青森、秋田、山形の各一大隊など500余人からなる混成第四旅団が編成され、内地からの最初の出動部隊として11月18日に朝鮮・釜山に上陸。20日には満州・奉天に到着し守備に就いた。弘前の第三十一連隊が基幹となった同旅団の第二大隊約500名の中に、本連載の主人公・対馬勝雄少尉(当時23歳)がいた。

血気滲む挨拶状

 第七中隊の小隊長を任じられて、自らが教育してきた兵士らとの初めての出征に奮い立った勝雄は、国家改造運動の国内での進展を念願し後事を託する内容の挨拶状をしたためた。宛名リストはないが、律儀な勝雄の性格から、同志の青年将校らだけでなく軍内外の理解者と頼む人々に出されたか。

〈現下社會不安は日に深刻にして一面昭和維新斷行の時期も切迫致候折柄後事はよろしく善處下さりたく懇願し奉り候 思ふに維新の發現は天之を我東北の人民に命じたるの感深きものあり 腐敗せる現支配階級と矯正の餘地なき左傾分子とを斷固たる信念により撃滅し以て皇澤を四海に仰がしむべきは我等の使命と存じ候

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