震災当時の写真や津波伝承のパネルをホテルに展示し、自らも語り部として大勢の客に伝えている阿部さん(筆者撮影、以下同)
 

「おかみ会の会員のホテル・旅館も、創業100年どころか200年、400年の間、地元に根付いてさまざまに貢献してきたと思います。私たちの『ホテル観洋』は1972(昭和47)年に開業して半世紀余り。今回のコロナ禍の状況でも、1日もホテルの灯を消しませんでした」

 女将の阿部憲子さん(58)はそう語る。

 それは「地域のライフライン」の役目とともに、もう1つ理由がある。

「被災地のホテルとして、この地に残った者として使命がある」

 と阿部さんは言う。「語り部バス」がその象徴だ。

「避難所を開いていた時から取り組みは始まりました。最初は、街並みがなくなった志津川を『誰か、道案内をしてほしい』と依頼され、営業マンが車を出して『津波の前は、こちらに〇〇があって、あちらに〇〇があった』と案内しました。それがボランティアや視察の団体、個人の客からも求められるようになって、『失われた町の記憶を伝えるのも大事な仕事。これが語り部なのか』と気付き、毎日バスを運行するようになりました」

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