「書けなくなったら、僕は作家をやめます」
 二〇〇六年、処女作『チーム・バチスタの栄光』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し鮮烈デビュー。瞬く間に医療ミステリー旋風を巻き起こした海堂尊氏は、こう言い切った。理由は「エンドポイント(死)が分かっている人間だから」だそうだ。
 海堂氏は医師だ。一般の人よりも「死」に近い分、もし「作家としての死」が訪れたとしても、それに客観的に対応できるということなのか。
 そんな海堂氏の「客観的視点」がたっぷり入った最新作が本書『イノセント・ゲリラの祝祭』だ。厚生労働省が主催する「医療事故調査委員会」創設を目指した検討会を舞台に、官僚、病理医、法医学者らそれぞれの思惑を描きながら、厚労省による医療政策の愚を浮かび上がらせる作品だ。
「医療事故調査委員会」とは、医療過誤で患者が死亡した場合などに、警察がすぐに介入するのではなく、まずは委員会という第三者機関を作って真相を究明していこうという制度だ。
 これは、現実世界でも厚労省が設置を検討している。二〇〇一年に幼い少女が手術ミスにより死亡した東京女子医大病院事件など、医療側の隠蔽工作などが次々と明らかになり、患者側の医療不信が増す中で、事実を知りたいという声に呼応して動き出したものだ。医療側にも、適切な処置をしたとの証明が委員会の場で出来れば、闇雲な捜査や医療訴訟を避けられるメリットがあるとみられる。既に厚労省は、昨年六月に委員会設置に向けた大綱案をまとめている。
 医療不信を払拭する手立てとしては、一見、有効な制度にみえる。海堂氏も委員会を設置する「概念自体」には賛成できるという。ただし、現行の設置法案のままでは“大反対”。理由は本書の読みどころの一つでもあるので簡潔に記すが、つまりはこう。現行案では、真相究明の手段として「解剖」をベースにしているが、これを「Ai」ベースにすべきだ、というのが海堂氏の考えだ。
「Ai」とは、「Autopsy im-aging(解剖・画像)」の頭文字をとったもので、CTやMRIなどの画像診断装置を用いて死体に対する画像診断をすることを示す。二十一世紀になって提唱された新しい検査概念だ。海堂氏は、まず「Ai」を行なって、死因診断がつかなかった場合に、解剖に回せばいいと主張する。
 なぜなら、日本の解剖率は、死者全体に対し二%台という極めて低い水準にあるからだ。年間約百万人の死者のうち、変死者は約十五万人いるにもかかわらず、そのほとんどが解剖に回されていないのが今の日本の現実。つまり、死者の九八%は体の表面を調べる「検案」だけで死亡診断書が書かれているということになる。これで本当に死因解明ができると言えるのか。
 このままでは結局、厚労省が進める「調査委員会」による真相究明も大半は「検案」だけで終わってしまう。なぜなら解剖率は二%台だから。この現実は容易に変わらない。それでは、どうして患者が死に至ったのか真実を知りたい遺族にとっても中途半端で不幸な制度になってしまう。
「明らかにおかしいでしょう。僕は当たり前のことを言っているだけなのです」
 と海堂氏は言う。現に、臨床医のほとんどが「Ai」の有効性を認めている。海堂氏自身、ミステリーの謎解きに「Ai」を使うなど工夫を凝らして、一般の人に広く知ってもらおうという努力を続けてきた。それでも、厚労省は調査委員会に「Ai」を導入することなく「解剖」主体で進めていこうとしている。
 ただ、希望の芽が全くないわけではない。海堂氏が訴えてきた「Aiセンター」が、現実に千葉大学と群馬大学で設立されたのだ。少しずつではあるが、現実世界にも変化は見られる。医師不足を始め、現在の医療が抱える問題は多く、闇も深い。海堂氏が「書けなくなる」日など当分、いや永遠に来ないのではないか。

Kaido Takeru●作家、医師。1961年千葉県生れ。外科医を経て現在は病理医。著書に『死因不明社会』(講談社ブルーバックス)、『ジーン・ワルツ』(新潮社)など。小説新潮3月号より、産婦人科医療をテーマにした新連載「マドンナ・ヴェルデ」を開始する。

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