どんな決断でもそれぞれの思いを尊重したい――(写真はイメージです)

 

本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞

 私は以前、在宅での終末医療を取材し、2020年に『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)を上梓した。

 在宅医療は、医師、看護師、介護福祉士などの在宅医療チームが患者の家を訪れ、がんなどの緩和治療も行いながら、最後まで家で過ごしたいという人々の願いに寄り添い、生活を支えるものだ。

 コロナ禍の今、在宅での終末医療の現状はどうなっているのだろう。再び現場を訪れた。

2020年は例年の倍の看取りがあった

 京都府長岡京市で在宅医療を行う土井医院は、医師3人、看護師7名を含むスタッフ約20人で在宅医療を行っている。この日、朝のミーティングは、前日に亡くなった患者への黙とうから始まった。

「新型コロナウイルスのパンデミックが起きた2020年は、前年の倍の看取りがありました。明らかにコロナの影響です」

 と語るのは土井正樹院長だ。

 現在、多くの病院が、新型コロナウイルスの院内感染を防ぐため、面会制限を設けている。そのため、人生の終末期をひとりで過ごす人も増えている。家族や友人に会えないまま亡くなるのは、患者、家族双方にとって非常につらいことだ。

 土井医院で訪問医療に携わる医師、早川美緒さんは語る。

「家族は面会に行けない分、主治医とコミュニケーションが取りにくい。患者の容体も電話で知ることが多いんです。そして突然、臨終の知らせが入る。事態が呑み込めず呆然としている方もいらっしゃいます」

 そんな中、終末期の患者とその家族は、病院に残るか在宅医療を選ぶかの選択を迫られているのである。

悔いのない介護をしたい

 福島陽子(73)さんは、夫の一夫さん(74)を家で看取ることに決めた。

「迷いはありました。でも、先生や看護師さん、ケアマネージャーさんが連携を取ってサポートしてくださると聞いて、どうしても無理だったら病院へ行けばいいと思って」

 一夫さんはがんで過去何度も手術を受けてきた。2016年に胃の大半を切除、膀胱、直腸も手術、人工肛門をつけた。また抗生剤のアナフィラキシーショックで危篤に陥ったこともある。抗がん剤が効いて一度は緩解したが、再発したのは2020年秋。胆管にがんが見つかり3度の内視鏡手術に挑んだ。

 ところが新型コロナウイルスのパンデミックが起き、抗がん剤治療を続けるか、家で緩和治療を受けて過ごすかの選択を迫られた。医師の見立てではあと3カ月。もし闘うとしたら病院に入院しなければならず、息子や孫にも会えなくなる。

 体調を見て、在宅を後押ししたのは早川医師だった。

「家で身体のしんどさを取る治療をしませんか」

 それは彼にとって抗がん剤治療の断念を意味する。一夫さんは緩和治療に切り替える選択をした。

 陽子さんは語る。

「これだけ大きな手術をして、一生懸命闘ってきた。何とか気持ちよく最後まで過ごしてもらわなあかんと思いました」

 かつて次男が事故に遭い、夫婦は延命治療をするか否かのつらい決断を迫られた。だからこそ悔いのない介護をしたい、と陽子さんは思った。

在宅療養のいいところは好きなものを食べられること

 夫婦の家は、2階が台所などのある生活の場で、構造上、ベッドは1階にしか置けない。1階で一夫さんが呼ぶたびに、陽子さんは急な階段を上り下りしなくてはならなかった。

「本人は緊急じゃなくても来てほしいんですよね。しょっちゅう呼ばれました」

 毎日30回以上は行き来した。膝が悪いので大変でした、と陽子さんは微笑む。一夫さんは何かをしてもらうたびに、「ありがとう」「ありがとう」と言うのが口癖だった。

 陽子さんは一夫さんから隣で寝てくれないかと頼まれたこともある。

「ベッドで寝返りするのも大変で、寝られんのですわ。これはちょっと体がもつかなぁと」

 そこで、ベッドの横に寝袋を敷いて眠った。最後の1週間。今年1月のことだ。

「床の上に座布団を置いてその上に寝ました。じわーっと冷えてきてね。寒かったです」

 そんな生活を支えたのが、24時間駆けつけてくれる土井医院の訪問看護師、前田三千代さんの存在だ。

「ちょこちょこアドバイスをもらって、そうか、これでええんやなぁと思いながら介護してきました。夜中にも来てくれるんですよ。心強かったです」 

「在宅療養にしてよかったことは?」と尋ねると、陽子さんはこう答えた。

「主人は病院の食事が苦手でまったく食べられなかったんです。『においがあかん』と。コロナ前は食べられそうなものを私が持っていきました。でも、コロナでしょう? 病院にいたら差し入れもできなかったですよね……」

 取材に同席した早川医師は思い出すようにしてこう言った。

「おうちでは一夫さん、カレーを食べていましたよね」

 訪問看護師の前田さんも振り返る。

「お好み焼きも」

「味の濃いものが好きやったんですわ」

 と陽子さんは笑った。

 在宅療養のいいところは好きなものを食べられることだ。

 もう食欲もなく、ほとんど食べなくなっていた頃、大粒のシャインマスカットを見舞にもらった。それを見た一夫さんは、「おいしそうやな」と3粒、口に運んだという。コロナ禍の面会規制では叶わないできごとだった。

 孫にも会えた。夫妻には10歳と2歳の孫娘がいる。10歳の孫娘は「おばあちゃんは休んでいて」と、かいがいしく食事を運んだ。

9冊の闘病日記

 一夫さんは亡くなる2週間前には別々に息子たちを呼んで、遺言を伝えたという。きちんとお別れができたのだ。

 最後まで意識を保っていたかったのか、痛み止めを服用するのをぎりぎりまで拒んだ一夫さん。病との向き合い方にも個性がある。それが許されるのも在宅ならではだ。

 一夫さんは、最後にこう言い残した。

「何も悔いはない」

 2021年永眠。4年9カ月の闘病だった。

「亡くなってから、ずっとつけていた9冊の闘病日記が出てきました。病気になって以来、絶えずしんどかったようです。でも、弱音を聞いたことがありませんでした。最後にはこう書かれていました。『心配はかけたくない。最後まで心配はさせない』と。我慢づよい人でした。しんどい、痛いとも言わない。そういう様子を見せたことがなかったんです。よく頑張りぬいたと思います」

面会制限で合わせることができないのは忍びない

 もう1組、家族に話を聞いた。

「緩和病棟に入ったら臨終まで面会できないと病院に言われ、在宅医療を勧められました」

 と語るのは、兼子信子さん(仮名・73歳)。

 夫、達夫さん(仮名・76)は末期の結腸がんを患っていた。

「主人ががんになった時、ずいぶん病院を調べたんですが、在宅のお医者さんのことは知りませんでした。誰かが在宅診療を受けているという話も聞いたことがなかった」

 達夫さんは過去にもがんの手術をしていたが、2020年に再発。

「お医者さんには、あと8カ月と予後を告知されました。本人は『何で俺が8カ月で死ぬねん。何言うとんねん』と、告知がまったく頭に入っていないようでした」

 だが9月に入って容態が悪化、訪問診療をしている近所の土井医院を紹介された。夫婦には娘が3人、孫は10人以上いる。面会制限で会わせることができないのはあまりに忍びない。達夫さんを最後まで看取ると覚悟を決めて20年10月に診療訪問、訪問看護に切り替えた。

 主治医になった早川医師は、最初に家に訪問した日のことをよく覚えている。

「わしは正月が迎えられるか?」と聞かれたそうだ。

「『奥様のおいしい手料理で元気をつけたら、迎えられるかもしれませんよ』とお答えしたら、『聞いたか、わしは正月まで生きられんらしい』と言って豪快に笑っていらっしゃいました」

「お母さんの手を握って最後を迎えたい」

「あの人、口うるさいところがあってね」と信子さんは苦笑する。

「髪を洗ってあげても『襟足が濡れたやないか! 下手くそ!』と怒鳴るし、靴下をはかせても、服を着せても『下手くそ!』と文句を言うんですよ」

 達夫さんが妻以外の人にケアされることを嫌がったため、介護の負担は信子さんひとりにかかっていた。信子さんは華奢で、とても成人男性を介護できるほどの力持ちには見えない。持病があって時々めまいもするという。

「なぜそんなに頑張れたのですか?」と聞くと、「主人は私にたくさん愛情を注いでくれたんですよ」と笑う。きっとチャーミングな人だったのだろう。

 やがて体力が落ち、寝室にも移動できなくなると、達夫さんはリビングで長い時間を過ごすようになった。

「体を起こすのが大変で、介護に負担の少ないベッドを入れようと言ったのに全然言うことを聞かない。それでけんかをしました」

 トイレに行きたいという達夫さんを座布団に載せて、引きずって行ったこともある。

 次女のみさとさん(仮名・45)は大阪に住んでいる。

「私たち子どもは独立して家庭を持っているので母を手伝うことができません。私たち3姉妹なんですが、皆『お母さんは限界や』と思っていました。でも母は『最後まで頑張る』というし、父は『病院には行きたくない』という。母は大変だったと思います」

 達夫さんは信子さんが大好きだった。最後はどう過ごしたいかと聞くと、こう答えたそうだ。

「死ぬまで一緒にいたい。お母さん(信子さん)の手を握って最後を迎えたい」

 信子さんは、達夫さんが亡くなるまでリビングで一緒に眠った。

24時間駆けつけてくれる看護師の存在

 達夫さんの願いをサポートしたのが医師と看護師だ。医師は、苦痛を取り除く緩和治療を行い、看護師は24時間体制で電話があれば夜でも駆けつけた。だが、達夫さんは薬が嫌いで、疼痛コントロールには苦労したと早川医師は言う。

 信子さんは24時間駆けつけてくれる看護師の存在がありがたかったと語る。

「どんどん容態が変わってくる。食べないんだけど無理に食べさせなくていいのかとか、こんな息をしているけど大丈夫なのか、とか。私たちは何もわからなくて不安です。それに精神的に参っている時に看護師さんに相談するだけで、ほっとするんです」

 11月に入ると、食事もほとんど取らず、お気に入りのソファで過ごした。そして金婚式に親族全員で撮った集合写真を眺めて、「こんなにたくさんの家族に囲まれて俺は幸せや」と、彼はつぶやくと、人差し指を1本立てるジェスチャーをして、「あと1年、お母さんと一緒にいたい」と語ったという。

 臨終には娘3人、娘の夫3人、孫10人が枕元に駆けつけた。

「ごめんな、ありがとうな」

 それが達夫さんの最期の言葉となった。

 大勢の家族が見守る中、達夫さんは望み通り、妻の手を握ったまま永眠。

 12月初旬のことだ。

 信子さんは振り返ってこう語る。

「在宅をきっかけに濃密な時間を過ごせました。幸せな2カ月でした。本人が一番喜んでいたんじゃないでしょうか」

 信子さんの表情は明るかった。

 孫たちにとってもかけがえのない命のレッスンになったはずだ。「おじいちゃんとおばあちゃんの姿をいろんな人に見せなあかん」と一番上の孫が言ったそうだ。

 土井医院では「在宅はグリーフケア要らず」と言っている。グリーフケアとは、悲嘆(グリーフ)から立ち直るための援助のことを指す。在宅での看取りは、患者と日常を過ごすことで家族も死への準備ができる。できるだけのことをしたという諦めもつくのだ。きちんと看取れば、家族は悲しみの中にも安らぎを見出す。

在宅が理想とは言い切れない

 では、やはり在宅が理想なのだろうか。

 早川医師はそうとも言い切れないと言う。

「家族の介護能力、病状の程度によって介護が難しいケースもあります。食事が十分に与えられない、おむつを替えられない、お風呂に入れられないなど、問題も抱えやすい」

 ヘルパーが入って支援しても、元気な時からの関係が影響し、家族仲がこじれてしまうこともある。

 性差による古い役割分担も依然として根強く残る。

「家で看取られるのは圧倒的に男性。『嫁』が夫の両親を看て当たり前という意識もいまだに社会に残っています。病院で暮らす方が双方にとって幸せな場合もある。すべての人に在宅医療は勧められない」

 土井院長は、自分たちの役割を、登山を補助する「シェルパ」のようなものだと言う。シェルパは、登山がうまくいくようにルートを示し、荷物を持ち、ともに歩く人のことだ。

 しかし、登るのはあくまで本人とその家族だ。すべての家族に在宅療養がフィットするわけではないと言う。

「我々はできる限りサポートしますが、主役は患者さんやご家族さんです。お2人の場合はこの過ごし方でうまくいきましたが、すべての患者さんが同じようにはいきません。家族の数だけ過ごし方が違う」

「でもコロナを機に、在宅医療が一般的になるのでは?」と尋ねると、土井医師は首を振った。「いいえ、そうはならんでしょう。私の義父が亡くなったばかりですが、病院で亡くなりました。在宅医であっても在宅での看取りができるわけじゃないんですよ」

 と諭すように語った。

 事情が許さないのはむしろ普通と言えるだろう。

 看護師の前田さんはこう語る。

「家も病院も状況に応じて選択できるのが理想。がんの場合は、早いうちから地域の在宅診療の医師や看護師とつながっておくことも大切です。うまく利用してほしい」

 そして、こうも付け加えた。

「それぞれにご事情があります。どんな決断をしようと『それでよかったんですよ』と尊重したい。そして、その選択をしてよかったのだと思ってもらえるよう、私たちは全力でお手伝いをするだけです」

 

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