死因究明の格差を生む「解剖12万円ルール」

執筆者:山田敏弘2021年10月6日
日本で生じている「死体格差」とは(写真はイメージです)©TheVisualsYouNeed

 

 日本では2020年の1年間に138万人超が亡くなった。そのうち病院以外で亡くなった「異状死」は17万人に及ぶ。

 しかし、異状死を遂げた人たちすべての死因が究明されるわけではない。

 死因を究明する解剖には、主に以下の3つがある。

(1)犯罪性が疑われる場合の司法解剖

(2)犯罪性は薄いものの、公衆衛生上の観点から行われる行政解剖

(3)犯罪性は薄いものの、死因究明や身元特定のために行われる調査法解剖

 このうち(1)の司法解剖が行われるのはごく一部に過ぎず、保険金目当てで次々に夫や交際相手を殺害した筧千佐子死刑囚の事件などが見逃されてきた。

(2)の行政解剖は、東京23区や大阪市など「監察医制度」のある自治体でしか行えず、それ以外の自治体では遺族の承諾が必要な承諾解剖になるため、大きな地域格差が生じている。

 そこで2013年に「死因・身元調査法」が施行され、遺族の承諾を得ずに警察署の判断で行える(3)の調査法解剖がはじまった。

 ところが、国際ジャーナリスト・山田敏弘氏の著書『死体格差 異状死17万人の衝撃』(新潮社/2021年9月15日刊)によれば、この新法は日本の死因究明制度にさらなる弊害をもたらしたのだという。

 いったい、なぜなのか。

 その知られざる事情を、同書から一部抜粋・再編集してお届けする。

発端は刑事局長の視察

死体にまつわるさまざまな格差を紹介

 この法律を作るにあたり、当時、警察庁の金高雅仁・刑事局長が、神奈川県のある解剖医のところに視察に行った。神奈川県は日本で他の追随を許さないほど極端に多くの解剖を行っている地域だからだ。(中略)1人の解剖医が信じられないほどの解剖数をこなしているのである。神奈川県のやり方は、法医解剖で本来必要とされる、写真や血液、臓器の保存を含めた証拠保全の面や客観性の面などから医学会では長く物議を醸している。

 ところが刑事局長は、そこで大量に実施されている解剖の手際にいたく感心したようだ。10万円程度で短時間に大量の解剖を請け負っているそのやり方を基準にして、調査法解剖を行うよう指示したという。

日本の死因究明制度の課題を浮き彫りにするある監察医

 研究所を運営する監察医は、法医学者の中では非常によく知られた人物だ。この男性医師は基本的には司法解剖は実施せず(大学などで行われるため)、公衆衛生目的で死因を究明するために解剖を依頼される監察医である。普通の法医学者では到底こなせないような数の解剖を、長年行なっている。

 ある朝、私が取材を申し込むためにこの研究所を訪問すると、朝の6時前から、施設の駐車場や施設前の道路には、すでに何台もの葬儀車両や警察車両が監察医の到着を待ち構え、列をなしていた。するとそこに、この監察医が、車を運転しながら姿を見せた。

 監察医が車を降りて研究所の建物に入っていくと、葬儀関係者や警察が建物内に一斉になだれ込んでいった。

 この監察医はいったい何者なのか。取材を重ねていくと、彼の存在が、日本の法医学会と死因究明制度に影響を及ぼし、死因究明制度の課題を浮き彫りにしていることが判明するのである。

年間4435件を担当

 毎年、警察庁刑事局捜査第一課は「都道府県別の死体取扱状況」という報告書をまとめている。2019年版を見ると、警察が取り扱った死体の総数、つまり病院外で死亡するいわゆる異状死体は、日本全国で16万7808体が報告されている。

 警察が扱った異状死体の解剖総数を都道府県別に見ていくと、死因究明の地域格差が如実に見えてくる。監察医制度のある3地域(東京23区、大阪市、神戸市)では、監察医務院など人員の豊富な行政機関が公衆衛生を守る目的で解剖を実施していることから、解剖数は他の地域に比べて圧倒的に多い。

 2019年には、12人の監察医と52人の非常勤監察医を擁する監察医務院がある東京都(警視庁管轄)では、3710件の解剖が行われている。大阪は1305件、兵庫は1918件となっている。法医学者らに話を聞くと、何人もの解剖医とそれを助ける助手などがチームを組んでこなしているからこそ達成できる数字であると口を揃える。

 しかし、である。

 報告書の都道府県別の解剖数を見ていくと、その中にこの3都道府県をはるかに超える解剖数を記録している県が存在する。

 神奈川県だ。

 解剖件数は、実に4318件にも上り、2位の東京を大きく引き離して突出している。神奈川県は何年にもわたってトップを維持している。

 しかも、大量の解剖数のほとんどをたった1人の解剖医が担当していることがわかっているのである。例えば私が入手できた神奈川県内の解剖担当数をまとめた最新の数字(2017年)では、2017年に解剖数全国1位だった神奈川県の5345件のうち4435件をこの監察医が1人で担当している。

解剖が商売になる可能性

 関係者らと話をすると、神奈川県の警察には変死体にからんで後に事件性が出てきたり、見逃しが起きた際に困らないよう、とりあえず解剖をしておくという考えが根付いているという。そして、それに応えてくれる存在として、この研究所の監察医がいるということだった。

 もちろん、死因究明のためにできるだけ解剖を行うという考え自体は法医学の世界でも歓迎されるべきものだ。だが、横浜市の現状を見ると、ことはそう単純ではない。

 横浜で14年に監察医制度が廃止になった後も、行政解剖/承諾解剖を引き受けたこの監察医は日常的にどんどん解剖を行なった。一方で警察は次々と遺体を研究所に送り込んだ。神奈川県のある警察官は私に、「送れば受け入れてくれるから、やっぱり重宝しているのです。文句も言わずにやってくれる。解剖しないで後で何か発覚したら神奈川県はまた叩かれますからね」と話す。

 だが、解剖費は(中略)遺族が請求された。監察医は、いわば横浜の死因究明制度にずっと存在してきた「伝統」を継承した人物なのだ。

 ただ問題は、解剖費用を遺族に負担させるとなると、国や行政の予算などの制限はなく、とにかく解剖すればするほど解剖する側の稼ぎが増えることになる。解剖が商業的になってしまう可能性があるのだ。

新法が死因究明の格差の原因に

 死因・身元調査法の法案作成に向けた内閣の推進会議のメンバーだった千葉大学の岩瀬博太郎・法医学教授は言う。

「新法解剖ができてから、警察庁から12万円ほどの安い費用で解剖をお願いされるようになった。ただ警察からの依頼ということで、地域によってはその額で受けつけてしまっていえるところがある。そうなると、鑑定も検査も十分にできないし、当然ながら解剖の質と量の両面の格差で酷い状況にある」

 新法解剖が、死因究明において、質の地域格差を生む要因になっているのだ。

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 なお、この監察医は山田氏の取材に対し、自らの解剖の正当性を主張している。

 

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山田敏弘(やまだ・としひろ)

国際ジャーナリスト、ノンフィクション作家。講談社、ロイター通信社、ニューズウィークなどを経て、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のフルブライト研究員として国際情勢やサイバー安全保障の研究・取材活動に従事。帰国後の2016年からフリーとして、国際情勢全般、サイバー安全保障、テロリズム、米政治・外交・カルチャーなどについて取材し、連載など多数。テレビやラジオでも解説を行う。著書に『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)などがある。

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