王陽明――「異端」者の風景(下)

挫折する近代――明

執筆者:岡本隆司2022年1月22日
王陽明(左)は官僚として3度の武功をたて、嘉靖帝(右)に引き立てられた

 

 当時の士大夫はみな、体制教学である朱子学をひととおり学んだ。もちろん陽明学を創始した王陽明、諱は守仁もそうだった。当時もっとも熱心に学んだ1人だといってよい。

出自

 王守仁は15世紀末から16世紀前半の人だから、唐寅・祝允明とほぼ同時代人である。しかし後者のような「風流」な都会人ではない。

 まず出身は、蘇州とは川・山を隔てた「浙東」である。浙西・浙東というこの地域区分は、現在でこそ使わないけれども、史上きわめて重要で、もっと昔なら「呉」「越」と呼んでいた。たとえば「呉越同舟」の呉・越といったほうが、日本人になじみが深いかもしれない。

 かつて馮道の活躍した10世紀の「五代十国」時代、まさにその「呉越」と名乗る国があり、この地域を領有していた。浙西・浙東とは文字どおり、浙江という大河を境に、その「呉越」国の遺領を東・西に分けた区分である。「浙西」は長江の沖積平野で、中心都市が蘇州、つまりはわれわれのいう江南デルタにあたる地域だった。それに対し「浙東」は山がちで、その中心都市は、寧波・紹興である。

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