「国際平和」はもうイケてないのか?

就職先としての国連イメージを考える

執筆者:高橋タイマノフ尚子2022年1月24日
スペキュレイティブ・デザイン(後述)で描かれた、50年後の国連のイメージ © Dofresh for UN DPPA
海外留学に行く日本人学生は、ここ10年で約3倍に増えたという。一方で、国際機関で働く日本人は微増にとどまる。東大生の就職希望先でも外資系企業が上位を占める昨今、なぜ国際公務員を志望する若者は増えないのか。自己イメージの刷新にも挑む「イマドキの国連」を、現役の日本人職員がレポートする。

 

 「国際機関で働く日本人って減っているんですか?」と度々聞かれるが毎回答えに窮している。というのも、部署や役職によって状況は大きく異なるからだ。例えば、かつて私が旧ソ連圏の紛争を担当していた際は、ロシア語が必須な部署だったせいか日本人はおろか自分が部内唯一のアジア人オフィサーだった。ちょっと寂しかったが、それはロシア語を専攻してしまった大学時代の自分を責めるとする。他の組織や部署でも、現場経験や言語など個々の採用条件によって結果的に職員の出身国・地域の偏りが生じることはありうるので、この例とは逆に日本人が多く活躍する部署もあろう。

 むしろこの質問がどこから来たのかを考えたところ、どうやら日本では他国と比較して国際機関における日本人職員数が伸び悩んでいるという論調があるようだった。国籍のラベリングはあれども、私個人としては、素質があるのに地理的、人種的、文化的ハードルなどで報われてこなかった人たちが正しく評価される環境づくりが理想的だと考える。そういう意味で、これらのハードルをいくつか抱えている可能性の高い日本人の国連での活躍の増加が、国連内のダイバーシティ促進や人種差別撲滅の一助になれば素晴らしい。

 ということを考えながらデータを見ていたら興味深い数字に直面した。国連をはじめとする国際機関で働く日本人の数は、2009年から19年の10年間で1.3倍と微増にとどまる一方で、日本人学生の海外留学はなんと同期間で約3倍にも増加したらしい。その波及効果で国連への就職が増えても良さそうなものの、就職先として国連がそれほど選ばれていないのは、どういう理由だろう。仮説を考えてみた。

 1、応募のハードルが高いと思われている。

 2、労働環境が悪いと思われている。

 3、そもそも人気がない。

 修士号が必要、英語に加えてもう一言語、など採用の壁の高さは幾度となくメディアで言及されており、それで思いとどまる人も多いのかもしれない。実際は、応募の方法や必要な準備については外務省や多くの教育機関、市民団体が詳しい知見を共有している。何が必要かわかった時点で問題は大方解決できたようなところもあると思うので、応募のハードルが著しく高いとは言い難い。労働環境については、給料は国際公務員委員会で公開されている通り決して低くない。育児休暇など福利厚生も充実している。また、以前は日本人にとって国連に「転職」しなくてはならないという点が心理的負担だったかもしれないが、日本でも労働市場の流動化に伴い転職が一般化してきており、もはやそれほど厄介でもないだろう。すると、別の問題があるのではないか。

流行りの問題?

 突然だが私はインラインスケートが趣味だ。趣味に精が出すぎて海外遠征したり、インストラクターの資格を取ったりしていたら、昨年とうとうN Y最大のストリート・スケートコミュニティの運営委員に就任してしまった(ちなみに仕事では出世していない)。インラインスケート文化というのは90年代がピークで、その後は長らく自分を含む一部のニッチなファンが細々と文化を繋いできていた。転機は2年前、昨今の90年代ブームとコロナによる娯楽消失の相乗効果か、N Yのスケーター人口が倍以上に膨れ上がった。増えたのは主にZ世代。S N Sでバズるようになり、雑誌やテレビなど一般メディアでも我々の存在が知られるようになった。イベントがより多く開催され、今までどこにいたんだと思うようなスキルの高いスケーター人材も発掘された。彼らが地方や海外の大会で賞を取るなど、N Yのスケート文化は大盛り上がりを見せた。インラインスケートは「イケてる」スポーツとして30年ぶりに返り咲いたのだ。

 このようなスポーツの激しい盛衰を肌で感じながら考えたことがある。人材「増強」のためには全体のパイを増やし、スター人材を強化し、そのふたつをつなぐキャリアアップの機会を提供する必要がある。それらの施策をとる一方で、どうしても外部要因としての「流行り」とか「文化」の影響を受けるのは否めない。海外留学に行く日本人が増えていて、優秀な人材が多く輩出されており、国連職員という職業自体の就労環境は悪くない。にもかかわらず就職先として国連が選ばれないのは、もしかして、「国際平和のために働くことはそんなに流行ってない」ということになってしまっているのだろうか。

国際課題の流行り廃り

 国連そのものへの好感度に関しては、世界でも日本でも多少上下はあるものの、ここ20年で大きな変化は見られない。他方、国連の扱う課題の中でひとびとの関心や優先事項が時代によって変化するのは、国連としても経験してきている。例えば、昨今の国連の優先課題といえば「SDGs(持続可能な開発目標)」だが、2019年にアルジャジーラ通信が過去72年分の国連総会決議を分析した結果によると、実はSDGsを含めた「Development(開発)」というキーワードが国連の重要課題になったのは60年代―70年代に数回のみで、特に顕著になったのは2016年以降だ。国連創設時の最優先課題は、憲章にもあるように戦争の防止だったが、その後50年代―60年代には「Colonialism(植民地主義)」がホットトピックとなり、80年代―90年代は「Arms Control(軍備管理)」だった。興味を持った方は、元記事もおしゃれで可愛いのでぜひご覧になって頂きたい。要は、この激しい移り変わりを見るに、国連創設の基礎理念である「国際平和」そのものが流行でなくなるのは非常に残念だがありうることだと言える。

 いや、平和という概念が変化しているのだ、多くの若者は国際平和よりも国内の生活に平和の要素や課題を見出しておりそれらをローカルに解決する方向に人材が流れているのだ、という仮説も大いにあり得る。素晴らしいことだ。でも国際平和の方もぜひ流行ってほしい。

 「国際平和のために働くことがイケてる」世の中にしたい、という表現が適切かどうかはわからない。90年代のスケート文化復興にあやかって70年代のヒッピー文化を復興させたいわけではない。でも少なくとも、大量虐殺を行ったり、貧しい人から略奪したり、犯罪集団に参加することがイケてる世の中よりは良い。実際、そういう時代は過去に確かに存在していて、現代では文字通り黒歴史となった。だから平和なことがかっこいい世の中を維持するということは、人類にとって非常に重要なことなのだ。フォーサイト読者の方には極めて釈迦に説法だが。

平和ブームを巻き起こせ――国連発のアートプロジェクト

 ということで、「国際平和のために働く」とまでは言わず、せめて「国際平和について語ることはかっこいい」文化を振興するべく、最近仕事でアートプロジェクトをいくつか立ち上げた。スケートは趣味だがこれは本業だ。

平和のために働くことがかっこいい世の中を ©Dofresh for UN DPPA

 ひとつはスペキュレイティブ・デザインだ。これは「思考のきっかけを提供する」デザインのことで、私の所属するイノヴェーション・セルでは、『未来の外交と平和づくりを再思考する』と題し、専門家とともに50年後の国連の業務の様子をデザインしてみた。この場所は地球上のどこなのか? どのような人がなぜ、何を議論しているのか? リアルとヴァーチャルな会話はどう区別されているのか? 服装の違いは何かを意味しているのだろうか? 答えはない。外交や紛争防止の根幹について考えさせられるイラストたちだ。

 また、AR(Augmented Reality;拡張現実)を活用した国連平和ポスターコンテストも開催した。通常2次元で描かれる「平和ポスター」にAR技術を加えると、特別な携帯アプリを介せばポスターが立体化し動き出すようになる。我々とアートの間に「やりとり」が生み出され、平和への関わりを文字通り多面的に考えていただくことを意図した。一般募集の中から選ばれた優秀作品が現在ウェブサイトで公開中である。

専用のスマホアプリをかざすと、ポスターが動き出す
 

 私個人はもともと仕事においては実用面重視派で、情報のソースが正確なら分析結果のビジュアルなんてどうでも良いと思いがちだった。だが、質さえ高ければ皆が興味を持ってくれると思いこむのは、それが商品であれ芸術であれ学問であれ、傲慢だとも思う。だからアルジャジーラが上述の「72年分の国連総会決議を分析した結果」というわりとマニアックな記事を、あんなにも可愛くおしゃれに発表していたのには感動した。国連創設以来の弛まぬ努力の結果、識字率の上昇や、女性の社会的地位の向上、情報インフラの整備はもちろん、人権・平和教育のおかげでより多くの人々が国際政治のステークホルダーとなった。今日こそ、「国際平和」は老若男女問わず多くの人に親しまれる、かっこいい、イケてるトピックでなくてはならない。その文化が形成されてようやく、国連職員を職業としたいと考える人が増えるだろう。2022年、70年代以降約50年ぶりの「平和ブーム」は、今年中に巻き起こしたい。

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