「親日国」台湾とともに生きる(上)

執筆者:北岡伸一2022年2月19日
1995年の訪問時、李登輝総統(当時)と筆者との会話はなごやかなものだった (C)AFP=時事

 

 今から40年あまり前、私は『近代日本と東アジア〈年報 近代日本研究 第二巻〉)』(1980年、山川出版社)に、「外交指導者としての後藤新平」というかなり長い論文を書いた。その後、それをもとにして、『後藤新平――外交とヴィジョン』(1988年、中央公論社)という本を書いた その頃、後藤新平という名前はよく知られていたが、後藤についての著作は、昭和12年(1937年)に出た全4冊の大部な正伝以外にはほとんどなかった。もう少し正確に言えば、小説が1つ、論文が2、3本あっただけだった。

 その後、阪神淡路大震災をきっかけに、後藤についての著作が次々と出るようになって、今やちょっとしたブームである。その先鞭をつけたのは私かもしれないと、ひそかに自負している。

 この『年報』のための研究会で知り合ったのが、台湾から東大文学部の大学院に留学していた劉明修(1937〜2006)さんだった。私の論文の焦点の1つは台湾における後藤の活動だったから、たちまち親しくなった。私の現代台湾についての知識は彼から得たものが多い。当時、台湾は軍事独裁国家で、たとえば『文藝春秋』のようなものも持ち込み禁止だった。劉さんは独立派で、国民党の独裁に嫌気がさして、のちに日本に帰化した。そして尊敬する指導教授の伊藤隆先生の名前をもらって、伊藤潔と名乗った。

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