梁啓超――「彷徨模索」した知識人(下)

甦る近代の変革――清末民国

執筆者:岡本隆司2022年4月23日
革命派とは距離をおいていた梁啓超(右)は、袁世凱大総統(左)のもとで政治家として活動する。が、その袁の帝制運動には反対した

 時に1902年も終わり、年が明けて4月。『新民叢報』の刊行は29号を数え、「新民説」の連載も、ほぼ毎号つづいていた。あたかも梁啓超の所論・思想が、最も急進化したと評される時期にあたる。師の康有為にあえて異を立て、国家主義をとなえ、国民国家「中国」への変革をうったえ、そのためには「中華帝国」現政権の打倒・「革命」をも辞さない姿勢すら示した。

転身

 梁啓超はそれに先立つ1903年3月より、アメリカに渡っている。はじめての訪米、見聞をひろめるほかに、各地で自派の政見・政策をうったえ、支援を獲得し勢力を拡大する任務も帯びていた。「新民説」の連載もひとまず中断となる。

 かれはアメリカの政治・社会の観察を怠っていない。その求める国民国家の一類型だったからである。

 くわえてアメリカ大陸には、華僑社会が少なくない。本国の「中華帝国」とは異なり、めざす国民国家体制のもとにあった同胞の社会である。それなら当地の華僑は、来たるべき「新民」の原型、「中国」の国民のモデルを提供するはずだった。

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