屋良朝苗:駆け抜けた激動の8年

執筆者:野添文彬2022年6月12日
復帰記念事業として行われた沖縄国際海洋博覧会(C)時事

 

植樹祭「天皇出席」への反対世論

 日本復帰に合わせて、沖縄では沖縄復帰記念植樹祭、復帰記念沖縄特別国民体育大会(若夏国体)、沖縄国際海洋博覧会といういわゆる「復帰三大事業」が進められたが、いずれも様々な混乱に直面する。

 それらは、沖縄戦とその後の27年間の米国統治によって生じた日本本土と沖縄の溝を示すものとなった。

 沖縄復帰記念植樹祭は、各地を巡回して開催されてきた全国植樹祭のうち、復帰を記念して特別に開催したものだった。問題となったのは、慣例である植樹祭への天皇出席に対して、沖縄で反対世論が高まったことである。屋良自身は、個人的にも天皇を尊敬しており、また沖縄だけ例外は認められないとして天皇出席を要請する意向だったが、革新与党や団体から激しい反対の声が高まり、結局屋良は出席を要請しなかった。

 植樹祭自体は、72年11月26日に摩文仁で開催され、県内外から約4000人が出席、約3000本が植えられた。

 復帰記念沖縄特別国民体育大会は、これも全国を巡回して開催される国民体育大会を、復帰記念として73年5月に特別に開催したもので、「若夏国体」と呼ばれた。ここでは、佐賀県選手団の軟式野球チームと埼玉県の重量挙げ選手が自衛隊員だったことをめぐり、自衛隊員の国体参加に対して、沖縄県内の労働組合や革新団体が反発した。

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