ウクライナの自国史像――「記憶」をめぐる紛争

執筆者:論壇チャンネルことのは2022年6月21日

*立石洋子氏の講義をもとに編集・再構成を加えてあります。

――東アジアにおける「靖国問題」、ドイツの「ホロコースト問題」など、歴史認識の問題は時に激しい対立の原因となります。その歴史認識問題が、東ヨーロッパやロシア語圏にもあり、しかもウクライナ戦争の背景をなしていることは、あまり知られていません。

 同志社大学准教授の立石洋子さんは、そうした旧ソ連地域の歴史認識問題の専門家で、『スターリン時代の記憶』などの著書・論文が高く評価されています。今回は、その立石さんに、ウクライナが抱える歴史認識問題について解説していただきたいと思います。

 まず、ウクライナの歴史について、簡単にご説明したいと思います。旧ソ連のウクライナ共和国が、ソ連解体時に独立してできたのが、現在のウクライナです。ウクライナの領土は、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ポーランド、チェコスロヴァキア、ソ連など、様々な国の支配を受けてきたため、地域によってかなり異なった歴史を持っています。1人の人、1つの家族が二重三重の文化的ルーツを持っていることも珍しくありません。

 人種・民族的にも多様性があります。ウクライナ人の他に、ロシア人やベラルーシ人、ユダヤ人、ギリシャ人、タタール人、ドイツ人などが住んでいます。言語も多様で、ウクライナ語の他に、ロシア語やルーマニア語、ポーランド語、タタール語など、たくさんの言語が使われています。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。