地球の低軌道を回るスターリンク衛星(C)Aleksandr Kukharskiy/shutterstock.com
スペースX社がウクライナに提供した通信衛星サービス「スターリンク」は、住民が正しい情報にアクセスできる通信環境を維持することでロシアのプロパガンダへの対抗手段となるだけでなく、ドローンのターゲティングなど軍事面でも利用されているという。その有用性には米露のみならず中国も注視している。

 

 ロシアがウクライナへ侵攻して間もない2月26日、ロシア軍がウクライナの通信網へ火力攻撃やサイバー攻撃を加える中、ウクライナのミハイロ・フョードロフ副首相兼デジタル転換相がツイッター上で、米スペースX社のイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)にスターリンク通信衛星サービスの提供を要請した。そのわずか10時間後、マスク氏は「スターリンクのサービスが既にウクライナで始まっており、更なる端末が向かっている」とツイート。世界を驚かせた。 

 地球の高軌道に1つの静止衛星を置いて通信を提供していた従来の衛星通信サービスとは異なり、スターリンクは、地球低軌道に数千個もの通信衛星を飛ばしてより遅延の少ない通信を提供するスペースX社のサービスである。多数個の通信衛星があたかも星座のように大規模に拡散していることから、「衛星コンステレーション(星座)」と呼ばれる。スターリンクはウクライナ戦争でどのように利用されているのか。それは今後の宇宙・サイバー・電子戦にどのような影響を与えるのか。 

なぜ迅速な提供が可能だったのか 

 スターリンクのこの迅速な提供の背後に、ウクライナとスペースX間の事前交渉があったことを忘れてはならないだろう。 

 ワイアード誌によると、ウクライナのデジタル転換省は戦争開始の数カ月前には地方におけるインターネット接続性を向上させるため、スターリンクの提供を打診していた。そしてスペースXの幹部はフョードロフ副首相に対し、2月下旬のサービス開始について話をしていたところだったという。 

 とはいえ、提供が事前に決まっていたとしても、戦争の最中に端末を輸送するのは容易ではない。これに関しては、米国政府からの支援も見逃せない。 

 3月上旬に米国際開発庁(USAID)は、スターリンクの端末をウクライナへ輸送するための支援についてスペースXとの調整を開始し、最終的に同庁は隣国のポーランドへ5000台を輸送する費用を負担し、ウクライナ政府と越境輸送について調整。さらに5000台のうち約1000万ドルに相当する3667台はスペースXが直接寄付したため、同庁は残りの1333台の費用を負担している。 

 米国際開発庁は、「プーチンの残虐な軍事侵攻によって、ウクライナの光ファイバーや携帯電話通信インフラが切断されたとしても」、スターリンクの端末があれば、「無制限かつ遅延のないデータ接続」が可能となり、政府も市民も同様に通信を使えるようになると指摘している。 

 こうした支援によって、ウクライナでのスターリンクの利用者数は1日当たり約15万人に達し(5月2日付のフョードロフ副首相のツイート)、スペースX社が戦争後にウクライナに送ったスターリンク端末の数は1万5000台に上っている(6月5日付のマスクCEOのツイート)という。 

スターリンクが情報戦で果たす役割 

 それでは、スターリンクはウクライナ国内でどのように活用されているのであろうか。 

 まず、ロシア軍からの攻撃で通信インフラがダウンしてしまった地域では、地元の通信事業者がスターリンクを使って通信サービスの復旧を行っている。 

 3月26日付のウクライナ厚生省のプレスリリースによれば、デジタル転換省との協力のもと、計590台が医療機関に送られ、戦闘中にたとえ通信がダウンしたとしても医療が続けられるようにした。 

  注目すべきは、スターリンクがウクライナの情報戦で果たす役割の大きさだ。米ポリティコ紙によれば、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領がソーシャルメディア上で最新情報を共有できるのも、ジョー・バイデン米大統領やエマニュエル・マクロン仏大統領など世界の指導者たちとオンラインミーティングを実施できるのも、スターリンクのお陰だという。米国防総省がシリコンバレーに作った国防イノベーション・ユニットで宇宙局長を務めるスティーブン・バトゥ陸軍准将は、ゼレンスキー大統領を沈黙させず、プーチンの情報戦を完全に打破したことこそがスターリンクの戦略的成果だと指摘している。 

 また、ゼレンスキー大統領は6月2日付ワイアード誌の独占取材で、スターリンクの提供するインターネット・アクセスが偽情報と戦う上で果たす役割に感謝の意を示した。ロシア軍の占領地域から脱出した人々の話では、占領地域で完全に通信手段を失ってしまうと、ウクライナがもう存在しないとロシア側から聞かされ、一部の人々はそれを信じ始めてしまうのだという。 

ロシアが強化する占領地域での偽情報作戦 

 ウクライナ政府が恐れているシナリオは、占領地域でウクライナ独自の通信サービスも、スターリンクの衛星通信サービスも機能せず、ロシア側のプロパガンダに対抗する手段を失ってしまうことだ。 

 ウクライナ国家特殊通信・情報保護局は5月1日、ウクライナ南部のヘルソンとザポリージャ地域の一部でインターネット接続と携帯電話ネットワークがダウンしたと認めた。その10日後のBBCの報道によると、ヘルソンではウクライナのテレビ番組へのアクセスが遮断され、住民たちは親ロシア派のラジオ局のニュースを聞くよう求められている。 

 ウクライナ大手通信事業者「ウクルテレコム」のCEOがブルームバーグの取材に語ったところでは、ヘルソンの小規模通信事業者はロシア側の要求に屈し、クリミアにある、ロシア国営通信企業「ロステレコム」の子会社「ミランダ・メディア」経由の通信サービスに切り替えてしまった。ロシア側はこの措置により、住民たちの通信を検閲するものと見られている。ウクルテレコムもロシア側からヘルソンの施設の引き渡しを求められ、一部の社員が監禁されてしまったが、それでもロシア側の要求に屈せず、社員たちがコンピュータから重要ファイルを削除し、社内ソフトウェアを完全に破壊したうえで、通信サービスをダウンさせたという。 

 スタンフォード大学情報セキュリティ協力センターのハーブ・リン上級研究員は、ロシアが武力を使ってウクライナ人が正確な情報にアクセスできないようにし、偽情報活動をより強化しようとしていることに注目している。そして、ロシア軍がウクライナの情報機器の接続を断つのは、正確な情報を与えないことが偽情報作戦の遂行に効果的だと認識しているからにほかならない、と指摘した。 

 米国政府も、ロシアのこの新たな動きに注目し、他の国々がこの手口を使うのではないかと懸念を強めているようだ。6月21日、ミカ・ヨヤン米国防次官補代理(サイバー政策)は、ワシントンDC市内で開かれたイベントに登壇し、ウクライナの占領地域でのロシアのこうした手口を中国という“もう一つのサイバー大国”がどのように使うか予想しておくことは、非常に大事であると強調した。 

ドローンのターゲティングにも利用 

 スターリンクは、ドローンや軍事通信などの軍事目的でも活用されているようだ。 

 フョードロフ副首相は、スターリンクがどれほどウクライナ軍によって使われているのかとの問いに対し、「多くは民用の目的で使われている」と答えるにとどめ、規模は明らかにしていない。 

 しかし、ワイアード誌によれば、スペースX社は戦場でスターリンクのサービスが使えるようファームウェア(電子機器に組み込まれたコンピュータシステムを制御するためのソフトウェア)をアップデートし、端末を車のシガーライターで充電できるようにしている。 

 また、ウクライナ軍のドローン部隊は通信状況の悪い地域においてもスターリンクを使うことで、戦場用データベースに接続してターゲティングを行い、ロシア軍に対戦車弾を落とせるようになった、と英テレグラフ紙が報じている。英タイムズ紙は、ウクライナ軍がスターリンクに接続させた偵察用のドローンを使い、ターゲティング情報を砲兵部隊に送っていると指摘した。 

 さらに、戦地のウクライナ兵士たちの連絡手段としても、スターリンクは欠かせない。家族や友人に無事を知らせる上でも、またマリウポリのアゾフスタリ製鉄所に立てこもっていた兵士たちがキーウと連絡をとれたのも、スターリンクがあったからだという。 

 ウクライナ国防省は、6月12日付のツイートで新たなスターリンク端末を受け取ったと明らかにし、特別任務に必要なインテリジェンスのために使うとしている。しかし、特別任務が具体的に何を指すのかは明らかにしていない。 

ロシアはジャミングで対抗 

 スターリンクの登場にロシア側もただ手をこまぬいているだけではない。対抗手段として、ジャミング(電波妨害)とサイバー攻撃を仕掛けているようだ。 

 マスクCEOは3月5日付のツイートで「紛争地域近くのスターリンク端末の一部は、数時間ジャミングを受けていた。我々の最新のソフトウェア更新で、ジャミングを回避している」と明らかにした。 

 その後ジャミングだけでなく、サイバー攻撃も始まったようだが、3月25日に「スターリンクは少なくとも今のところ、全てのハッキングとジャミングの試みに耐え抜いている」とツイートしている。 

 この時は国名を出さなかったが、5月10日にはもう少し踏み込み、「スターリンクはロシアのサイバー戦ジャミングとハッキングの試みに耐え抜いているが、彼らは攻撃を増やしてきている」とツイートした。 

「衛星コンステレーション」から得られる通信の「回復力」 

 米国政府や米軍は、こうした通信衛星を利用した宇宙における電子戦とサイバー戦に注目し、今後のセキュリティのあり方について既に公の場での議論を進めている。 

  例えば、4月20日に軍事技術専門メディア「C4ISRNET」のオンラインカンファレンスに登壇した米国防総省国防長官府のデイブ・トレンパー電子戦部長は、ロシアのスターリンクに対するジャミングについて報じられた翌日にスペースXが対応し、ジャミングを回避したのは、「電子戦技術者の観点からすると素晴らしく、やってのけた様は驚異的」と絶賛した。 

 同部長は、スペースXのスピード感に引き換え、米国政府がそうした修正を行おうとすると、事象の分析、修正方法の決定、担当する業者との契約など、相当な時間がかかってしまうと反省し、「我々には、そうした俊敏性が必要だ」と指摘している。また、電子戦でこちらのシステムがダウンしてしまったとしても、米国が別のシステムに切り替えて作戦を継続できるよう、冗長性が大切になるとも述べた。 

 続いて、宇宙軍の宇宙作戦副局長のデイビッド・トンプソン大将は5月11日の上院軍事委員会の公聴会で、ウクライナでの戦争から得られる教訓について尋ねられ、多数個の人工衛星があたかも星座のように大規模に拡散した「コンステレーション」から得られる回復力(レジリエンシー)だと答えている。 

 ロシアはウクライナが宇宙能力を使うのを防ぎたかったのだろうが、衛星コンステレーションの場合、一部の人工衛星のアクセスを止められても、大規模なアクセス停止は非常に難しいという。そのため、今回のウクライナの事例は、宇宙軍がネットワークをダウンさせないために、宇宙ベースの通信とデータ中継で分散されたアーキテクチャを使う戦略の正当性を証明するものだ、と指摘している。 

スターリンクに警鐘を鳴らした中国の専門家 

 スターリンクには、中国も注目しているようだ。 

 4月、中国人民解放軍戦略支援部隊の北京追跡通信技術研究所の任元珍研究員らが軍事技術に関する学会誌に寄稿し、スターリンクに接続した米軍のドローンやステルス機がデータ送信速度を100倍以上に増やせると見積もった。 

 その上で、中国は、スターリンク衛星を追跡・監視する未曾有の規模と感度をもつ監視システムなど、対衛星能力を開発する必要があると主張した。また、ソフトとハードの手段を組み合わせて、スターリンクの一部の衛星の機能を失わせ、コンステレーションの運用システムを破壊できるようにするべきだとも指摘している。 

 シンガポール国立大学の客員上級研究員のドリュー・トンプソンは、マスクCEOがスターリンク端末を寄付したことで、中国が低軌道衛星の利便性と有効性をより認識するようになったと英フィナンシャル・タイムズ紙の取材で指摘している。同氏は以前、米国防総省国防長官府の中国、台湾、モンゴルの担当部長を務めていた。 

 宇宙・サイバー領域にまたがる専門家の育成 今後、ウクライナ情勢を踏まえ、通信インフラの冗長性と回復力を確保する上での衛星通信サービスと、衛星通信サービスへのジャミングとサイバー攻撃の防御策について、一層注目が高まっていくだろう。さらに、宇宙、サイバー、電磁波それぞれの領域にまたがる専門家の育成も急務になっていくはずだ。 

 米軍では、少なくとも宇宙とサイバーの両方に詳しい専門家の育成が既に始まっているようである。2021年4月の米上院軍事委員会の公聴会で、米宇宙軍司令官のジェームズ・ディキンソン大将は、米サイバー軍との統合を進めるため合同サイバー・センターを創設すると明らかにした。その上で、米宇宙軍には少なくとも今のところ、必要としているサイバー人材がおり、一部の人材は宇宙とサイバーの両方の専門家であると述べた。 

 ただ、ディキンソン大将は、米国の戦略的競争相手や敵からのサイバー脅威が進化し、増している中、両分野に通じた専門家のニーズは今後一層高まるであろうとも予想している。 

 また、米宇宙軍の核・サイバー関連の宇宙作戦部門の次長を務めるチャンス・サルツマン中将も、衛星の運用の確保にサイバーセキュリティが不可欠であると指摘している。5月中旬に米航空宇宙学会が主催したオンライン・パネルに登壇した同中将は、ウクライナにおける情勢の評価には時間がかかるとしつつも、衛星の運用を地上から補佐しているネットワークへのサイバー攻撃に懸念を示し、そうしたネットワークへのサイバーセキュリティ人材による防御の重要性を強調した。 

 米マイクロソフト社が6月22日に出したウクライナ情勢絡みのサイバー攻撃に関する報告書を見ると、ロシアからのサイバー攻撃対象国に日本も入っている。日本においても、新たな脅威への対応とそのための人材の育成が急務となる。 

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松原実穂子(まつばら・みほこ)

NTT チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト

早稲田大学卒業後、防衛省勤務。米ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で修士号取得。NTTでサイバーセキュリティに関する対外発信を担当。著書に『サイバーセキュリティ 組織を脅威から守る戦略・人材・インテリジェンス』(新潮社、大川出版賞受賞)。

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