大田昌秀:辺野古移設「反対」と知事選敗北

執筆者:野添文彬2022年9月4日
大田の県民葬には多くの参列者が詰めかけた(C)時事

 

「普天間移設先」に浮上した辺野古

 普天間飛行場の返還合意直後から、移設先をどこにするかが大きな課題になっていた。当初浮上したのが、嘉手納基地への統合案であった。同案については吉元政矩副知事が、既存の基地に集約することで基地を段階的に縮小していくことは「基地返還アクションプログラム」にも合致するという考えから積極的で、防衛庁も嘉手納統合案を進めていく。しかし、地元の沖縄市、嘉手納町、北谷町、さらには嘉手納基地の米空軍が強く反対する。

 その後、海上に撤去可能なヘリポートを建設するという案が浮上する。この案は、橋本龍太郎首相も「撤去可能」で沖縄にも受け入れられやすいという判断から、積極的に支持した¹。そして、代替施設となる海上基地建設予定地は名護市辺野古沖へと収斂していく。その理由として、辺野古の海岸線は浅瀬が広がっており建設がしやすいことに加え、かつて1950年代にキャンプ・シュワブの建設を受け入れた経緯もあり、経済振興への期待から地元に受け入れられるという見通しが日本政府内にあったことがあげられる。

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