沖縄県知事の歴史的奮闘が問い直す「保守」と「愛国」

野添文彬『沖縄県知事―その人生と思想』(新潮社)

執筆者:三牧聖子2022年9月22日
再選を果たした玉城デニー知事

 

沖縄から問う「保守」とは何か

 8名の個性豊かな歴代沖縄県知事、その思想や人柄、政府との関係を克明に描き出した沖縄国際大学の野添文彬准教授による『沖縄県知事:その人生と思想』が2022年に上梓されたことは幾重にも象徴的だ。5月15日、沖縄の日本復帰から50年の節目を迎えた。9月には沖縄県知事選が戦われ、玉城デニー現知事が勝利した。この節目の年に、これまでの沖縄県知事の取り組みを歴史的に理解することは極めて重要だ。

「保守か革新か」「基地か経済か」「日本政府との協調か対立か」。野添氏は、このような二項対立の間では捉えきれない沖縄県知事の葛藤に丁寧に光を当てる。そして、歴代の県知事が目指してきたことも、この二択を超えることだった。日本政府は、「基地か、経済か」という二択を沖縄に突きつけ、経済振興策を代償に、沖縄に基地負担を押し付けようとしてきた。しかし、生活圏に危険な基地がない安全な生活も、経済的に豊かな生活も、どちらも人間が人間らしく生きるのに必要不可欠のものだ。野添氏は、政府が沖縄に突きつける暴力的な二択に、時に真正面から抗い、時に巧妙に回避しながら、県民の人権も、経済的な豊かさも、どちらも譲れない権利として追求してきた沖縄県知事の姿を鮮やかに描き出していく。

 沖縄県知事たちの歴史的奮闘は、政治不信が広がる日本社会において、「政治家とはどういう存在であるべきか」という普遍的で重要な問いを突きつける。

 この夏、旧統一教会と自民党を中心とする政治家たちとの関わりが明らかにされ、国民の政治家への信頼は大きく揺らいでいる。日本国民にあれほどの経済的・精神的な苦痛を与えてきた宗教団体と、政治的な利害のために簡単に手を結んできた政治家の姿は、あまりに衝撃的だった。とりわけ「保守」や「愛国」を掲げてきた政治家たちへの国民の幻滅は根深い。旧統一教会はその教義で、日本は韓国に対する植民地支配という「原罪」を背負っているとうたい、日本人を献金強要の集中的なターゲットと見定めてきた。実際、旧統一教会による献金被害額は、世界でも日本が突出している。そうした団体と、日本国民の生命財産の保護や増進に責任を負うべき政治家たちが長期間にわたり、深い関係を築いてきたのだ。一体、これらの政治家が守りたかった「国家」とは何だったのか。それは具体的な「国民」の命や生活ではなく、抽象的で漠然とした「国家」にすぎなかったのか。彼らにとって国民の福利は、目先の選挙の勝利や政治的な利害関係のためには、簡単に妥協できる程度のものにすぎなかったのか。国民の間には深い懐疑が生まれている。

「イデオロギーよりもアイデンティティー」

 本書が描く沖縄県知事たちは、空虚に「保守」や「愛国」イデオロギーを掲げる政治家の究極のアンチテーゼだ。沖縄が置かれた困難な状況は、県知事たちに、「保守か革新か」「基地か経済か」「日本政府との協調か対立か」という抽象的な論争に甘んじることを許さなかった。歴代の県知事たちの政治的な立場は様々だったが、彼らは抽象的なイデオロギー論争より、沖縄の人々の命や生活、尊厳を守ることを常に大事にした。彼らが守ろうとしたのは、抽象的に観念された「沖縄」ではなく、常に具体的な「沖縄の人々」だったからだ。それゆえに保守県政であった西銘順治、稲嶺惠一、仲井眞弘多知事も日本政府と対立することを辞さなかったし、屋良朝苗、大田昌秀といった革新知事も必要に応じて日本政府と協調した。

 そうした意味で、2014年の県知事選で翁長雄志氏が掲げた「イデオロギーよりもアイデンティティー」は、翁長氏のみならず、歴代の沖縄知事の立場をよく言い表す言葉だと感じる。野添氏は、翁長は一貫して「保守」の政治家であったと評価する。翁長氏にとっては「保守」とは、沖縄の歴史や伝統、文化を重視し、県民の生活を守ることにあった。この目的に資するからこそ、日米安保や米軍基地は支持されるのであり、住民の生活や尊厳を損なうような基地や安保は倒錯である。

 2015年、普天間飛行場の辺野古移設をめぐる協議において、当時官房長官だった菅義偉氏に対し、翁長雄志知事が沖縄の苦難の歴史への理解を求めた際、菅氏が「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」と言い放ったエピソードは本書でも紹介されている。菅氏、そして、同様に沖縄の歴史的苦難に無理解を示してきた政治家たちは、沖縄の歴史とともに、保守政治家としてあるべき姿をも見失ってきたのではないか。保守政治家としての矜持、人の命や権利を大切にする「誇りある安保体制」の理想は、沖縄のみならず、日本の政治家たち、そして私たち日本国民が、沖縄県知事たちの葛藤の歴史に習い、取り戻していくべき考えであるように感じられる。

構造的差別との戦い

 9月11日、沖縄県知事選に勝利した玉城デニー知事は、「辺野古に新しい基地は絶対につくらせないという県民の強い思いは1ミリもブレていません。日米両政府は、今回の選挙結果をしっかりと受け止めるべきです」と述べた。確かに玉城氏は危なげない勝利を収めた。しかし、県民の心は揺れている。コロナ禍の経済疲弊を背景に、辺野古移設ノーを訴えてきた保守経済界の重鎮たちは、政府との過度の対立路線を警戒して「オール沖縄」を離れていった。各種調査では、基地問題よりも経済の活性化を最重要視する県民意識が明らかになっている。沖縄戦や米軍統治を直接知らない20代から30代では、自民・公明推薦を受けて辺野古移設を容認する佐喜真淳氏の支持が上回った。玉城氏当選を受けて、松野博一官房長官は即、「辺野古移設が唯一の解決策だ。着実に工事を進めていく」と強調した。政府の強硬姿勢も変わっていない。

 こうした沖縄の状況をよく表していると感じた言葉が、「構造的差別」という言葉だ。2022年5月15日、沖縄が日本に復帰して50年の節目に県知事として玉城デニー氏が使った言葉として本書で紹介されている。確かに沖縄の日本復帰後、日本政府は沖縄に対して一定の振興策を展開してきたが、沖縄の基地負担の軽減にはずっと消極的だった。この事実について玉城知事は、「なぜ構造的な差別を沖縄県民に与え続けるのか」と政府に、そして日本国民に問うたのである。

 玉城氏が「構造的差別」という言葉を使ったことは印象的だ。この言葉は今日の世界で沖縄のみならず、世界中のマイノリティの苦境を言い表し、より公正な社会を展望するための共通語となっているからだ。なぜ、単に「差別」ではなく、「構造的差別」という言葉が選択されるのか。そこにあるのは、マイノリティを苦しめているのは、いま目に見える格差や不平等だけではなく、長い歴史をかけて政治や社会に複雑に組み込まれることになった構造的な不平等であるという痛切な問題意識だ。

 今日、本土と沖縄では明確な経済格差がある。先の8月に公表された2019年度の沖縄県の1人当たりの県民所得は241万円。全国平均は318万円の4分の3程度だ¹。所得格差の1つの理由は、沖縄の産業構造にある。沖縄は全国に比べ、観光などの第3次産業に依存し、製造業などは発達していない。第3次産業に従事する人の賃金は低く、非正規は多い。そしてこうした今日の沖縄の産業・雇用の構造には、米軍統治下にあった時代に、産業に適した土地を米軍に接収された歴史が深く関係している。

沖縄から問う「愛国」

 本書が明らかにするように、沖縄県知事たちは、常に世界の潮流に目を凝らしながら、普遍的なマイノリティの問題の一環として沖縄問題を捉え、普遍的な言葉でその苦境を表現してきた。その端的な例は、大田昌秀知事だろう。米国留学経験を通じ、大田は米国の黒人差別問題に関心を抱き、社会における多数派と少数派の関係という普遍的な問題として日本における沖縄差別を考えるようになっていった。大田にとって、沖縄問題とはアジア、アメリカをはじめ世界の問題、さらには人類の問題だった。

 そして、2015年9月に、翁長雄志知事がジュネーブの国連人権理事会で行った演説は、まさに沖縄問題の普遍性を示すものだった。それは、「沖縄の人々の人権や自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を世界中から関心を持って見てください」という痛切な訴えだった。翁長氏の演説、特に「自己決定権」への言及は、自民党の議員や保守系メディアから猛反発を招いた。批判は内容に関するものに加え、そもそも基地問題は国内の政治問題であるのに、なぜ国際的な場で訴えて日本の恥をさらすようなことをしたのか、といった批判もあった。

 しかし逆に私たちは、なぜ沖縄県の知事が国際社会に訴えなければならなかったのか、という問いこそ発するべきだった。基地問題や沖縄の苦境への政府の無理解、そこから生まれる絶望から、翁長氏は国際社会への訴えかけに活路を見出す他なかったのである。翁長氏を批判した人々のどれほどが、こうした沖縄の絶望を理解していただろうか。

 政治思想史研究者の将基面貴巳は、「愛国」の思想的起源を古代ローマ時代にまで辿り、今日では国民国家の枠組みに狭く囚われてしまっている「愛国」が、その起源においては人類愛を説くコスモポリタンなものだったことを明らかにしている²。アメリカやアジア、他国の人々の苦境に沖縄の人々の苦境を重ね合わせて心を寄せ、沖縄で起こっている不条理を国際社会にも広く訴えてきた沖縄県知事は、言葉の原初的な意味での「愛国」者といえるのではないか。日本で「愛国」を語ってきた政治家たちが、実は国民すら愛しておらず、自分たちのことばかり考えていたことが露呈されつつある今、世界に広く開かれた姿勢で沖縄問題の解決を模索してきた沖縄県知事の姿勢は、改めて「愛国」とは何かを私たちに問いかけている。

[1] 『毎日新聞』2022年9月3日。

[2] 将基面貴巳『愛国の起源――パトリオティズムはなぜ保守思想となったのか』ちくま新書、2022年。

 
 

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