【再掲】「デモクラシー過剰」な時代における「孤独な個人」の凶行

安倍晋三元首相銃撃事件によせて

執筆者:河野有理2022年12月31日
2022年7月11日、東京の増上寺で故安倍晋三元首相に献花する人たち (C)AFP=時事

 

安倍晋三元首相銃撃事件に際し、「われわれはあまり山口二矢を思い出さなかった」と筆者は言う。それは談合とコンセンサスの政治である55年体制下の浅沼稲次郎刺殺事件が、現在とは異なる時代相で起きたことを直観しているからかもしれない。激しい党派対立と結びつくデモクラシーの過剰もまた、その過少と同様に、暴力への誘因であるのではないか。

 

 それは1960年10月12日、1カ月後に衆議院選挙を控えた日比谷公会堂でのことであった。当時の社会党委員長、浅沼稲次郎が演説中に右翼少年に刺殺された。享年61。刺した少年の名は山口二矢(おとや)。事件から3週間後、送致された鑑別所にて自殺。享年17だった。

 古今東西の暗殺がままそうであるように、まるで実行者に天が味方したかのようないくつもの偶然と手違いが重なり犯行は成功へと導かれた。

 またやはり多くの暗殺がそうであるように、犯行の動機や背景にはどこか不分明なところが残る。なるほど大日本愛国党・赤尾敏の薫陶を受けた右翼少年が左翼政治家を狙うこと自体は何の不思議もないようだが、なかでもなぜ浅沼だったのかについてはどうやら偶然が大きかったようだ。浅沼を暗殺することで何か具体的な成算があったのではない。少年自身の説明は「国民の覚醒を促す」といった程度のぼんやりとしたものであった。

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