「多神教」日本と文明への懐疑

執筆者:関裕二2023年1月29日
「人と自然を傷つけることで成り立つ文明」に抗ってきた日本の歴史と文化は、誇りにして良い(C)paylessimages - stock.adobe.com

「スサノヲ篇」を連載している間に、世界情勢はめまぐるしく変化した。ぬるま湯に浸かっていた日本人も、ようやく防衛の重要性に気づいたのではなかろうか。

 はっきりわかってきたのは、「人類が戦争をやめることはけっしてない」こと、「平和憲法を掲げていても、安全ではない」という悲しい現実である。

「非文明」とみなされた明治の日本

 さらに問題なのは、先進国の中で日本だけが多神教的信仰を守りつづけていることの自覚が、日本人にない点なのだ。これが、じつに危なっかしい。世界の多くの国々は一神教的な論理を掲げて多神教世界を野蛮視し、蹂躙してきたからだ。キリスト教徒は多神教徒を啓蒙し「文明社会」に導く義務があるとうそぶき、植民地支配を正当化した。これが帝国主義である。

 明治維新後の日本は、西洋文明に追いつこうと富国強兵策をとり、多神教世界の象徴的存在だった天皇を一神教の神のように扱うことで、帝国主義の真似事をはじめた。これがいわゆる「天皇制」であり、長い歴史のなかで異質の天皇統治システムが、ここに誕生した。

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